「未必の故意」(安部公房)

表題「未必の故意」の指し示すものは何か?

「未必の故意」(安部公房)
(「緑色のストッキング・未必の故意」)
 新潮文庫

島のヤクザ者・江口が深夜、
島民たちに撲殺される。
島民の多くが
彼の被害に遭っていたのだ。
駐在の不在を狙った
計画的な事件だったが、
首謀者の消防団長は、
事故であることを強調するため、
団員や島民と
口裏合わせの練習を行う…。

安部公房が1971年に発表した
戯曲作品です。
冒頭から終末まで、
すべて模擬裁判の場面が続きます。
計画的に行われたヤクザ者殺害事件を、
「誰が死に至らしめたか」を曖昧にし、
「殺すつもりではなかった」ことを
印象づけるための
関係者同士の口裏合わせ、それが
模擬裁判の形で進行していくのです。

〔主要登場人物〕
江口イタル

…島に流れ着いてきたヤクザ者。
 島民たちに撲殺される。
 ※舞台では声だけの登場。
消防団長
…菊の島の消防団長。
 江口襲撃の首謀者。
ちんば
…青年消防団員。
 足が不自由で義足使用。
めっかち
…青年消防団員。眼が悪く眼帯着用。
つんぼ
…青年消防団員。耳が悪く補聴器使用。
若い女(クミ子)
…江口の経営するバー・キューピーの
 女給。
島民A…年寄りの男性の島民。
島民B…中年男性の島民。
島民C…中年女性の島民。
教師…島の分教場の教師。
〔事件(筋書き)の概要〕
・首謀者は消防団長。
・駐在を島外に誘い出した上での
 計画的犯行。
・江口を死ぬまで殴ったのは
 ちんばとめっかち。
・事件の時間帯にちんばとめっかちは
 バーを襲撃しに行っていたという
 アリバイをつくるために
 消防団長は口裏合わせを画策する。
・バーには客として教師が来店、
 島民AとBを目撃しているため、
 消防団長は教師を脅して
 偽証を強要する。
・偽証がばれることのないよう
 口裏合わせを完璧にするため
 教師は矛盾点を執拗に追求する。
 それが「模擬裁判」となる。

本作品の味わいどころ①
異質なものを排除しようとする愛郷心

最初は罪を軽くするための
口裏合わせでしたが、
次第にその様相は変容していきます。
バー襲撃の目撃者である教師を脅して
抱き込むのですが、その教師が
次々に矛盾点を指摘していく中で、
異物排除の論理、
閉鎖された地域に巣くう同調圧力、
支配者のエゴ、
愛郷心に潜む闇、
意識の底に押し込めた殺意、
そうしたものが
次第に明るみに出されてくるのです。

特に強烈なのは
「異物排除の論理」でしょうか。
殺害された江口は、
島に流れ着いてきたヤクザ者。
これまで散々島民たちに暴力を振るい、
金銭を巻き上げてきているのです。
島民たちのその「異物排除の論理」は
次第にエスカレートし、
最後の場面では、
もう一人のよそ者である教師もまた
殺害され、
その物的証拠が抹消されます。

裏を返せば、
異物を排除しなければ成立しない
「愛郷心」「島の秩序」
「狭い人間関係」なのです。
この、声高に語られる
愛郷心がもたらす暴力的な
「異物排除の論理」こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。

本作品の味わいどころ②
暴力にも同調圧力にも逆らえない人々

なぜこのような事態に陥ったのか?
作品にはその背景について
詳しく書かれてはいないのですが、
江口の数々の不法行為が
とがめられることなく
ここまで来たということは、
警察も見て見ぬふりをし、
誰もその行為を
止めることができなかった、つまり、
島全体が暴力に
屈していたことを示しているはずです。

一方、島民たちは、
その江口を殺害することについても、
消防団長の言いなりになっています。
消防団長の言葉に
重みがあるわけではなく、
狭い地域特有の
「同調圧力」のなせる技です。
島民たちは、自らが生み出した
その同調圧力にも
抗うことができなかったのです。

暴力を振るい続ける
江口を排除するために、
殺人をも犯す新たな暴君・消防団長を
生み出しているという矛盾は、
読み手をむなしい気持ちに
突き落とします。
この、暴力にも同調圧力にも逆らえない
人々の姿こそ、本作品の第二の
味わいどころとなるのです。

本作品の味わいどころ③
「未必の故意」の指し示すものは何か?

表題「未必の故意」とは法律用語で、
「犯罪の結果が生じる可能性を
認識しながら、これを
認容している状態」を指して使います。
殴り続けた際に「殺してやる」と考えて
実行するのは確定的故意となりますが、
「痛めつけてやりたいだけだが、
もし死んでも別に構わない」
というのが「未必の故意」となるのです。
まさに江口殺害の一件は
この「未必の故意」に該当するのです。

しかしここで考えなくてはならないのは
安部がそのような単純な表題を作品に
冠するのかどうかということです。
安部の意図する「未必の故意」とは、
江口殺害以外の部分に
あてはめられる可能性があります。

本来、「未必の故意」は
個人に適用されるものです。
作品に描かれている
集団暴行事件であっても、
実際の裁判では
「Aはどこまで認識していたか」
「Bはどこまで結果を予見していたか」
というように、
一人一人個別に判断されます。
したがって法律上は
「集団における未必の故意」は
存在しないのです。

安部はあえてそこに踏み込み、
「誰も止めない」
「誰も責任をとらない」
「しかし暴力は加速する」
「死んでもしかたがないという
空気が共有される」という
一連の流れを
社会心理的な「未必の故意」として
提示したかったのではないかとも
考えられるのです。

さらに本作品は
上演を目的とした戯曲として
描かれています。
江口殺害後の島民たちの答弁を
聞かされた観客たちは、
「やむを得ないよね」
「狭い地域だとこうなるよね」と
同情心を誘われるはずです。
その段階で、観客も
「未必の故意」の領域に
足を踏み入れているとも
考えられるのです。
安部特有の、観客を巻き込んだ
「罠」と考えることもできるのです。

この、「未必の故意」の
指し示すものについて
思考を巡らすことこそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。

今、日本全体で、いや世界全体で、
集団による「未必の故意」が
進行しています。
異民族排除、外国人排斥の流れは
ことあるごとに加速していきます。
それに異を唱えようとすると
異分子扱いされる傾向も
強まってきています。
本作品の島民のように、
なすすべもなく流されるのではなく、
暴力にも同調圧力にも、
正しく抗うすべを
身につけていきたいものです。
いやな雰囲気の漂う時代であるからこそ
味わうべき一篇だと思います。
ぜひご賞味ください。

※本書は絶版中です。
 古書をあたるか、
 「安部公房全集第23巻」を
 図書館で探すしかありません。

(2026.1.21)

〔「緑色のストッキング・未必の故意」〕
未必の故意
愛の眼鏡は色ガラス
緑色のストッキング
ウエー(新どれい狩り)

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