「その夜の宿」(スティーブンスン)

起こるのは…、口論だけです。

「その夜の宿」
(スティーブンスン/
   高松雄一・高松禎子訳)
(「マーカイム・壜の小鬼 他五篇」)
 岩波文庫

聖ヨハネ墓地に隣接する隠れ家に
集まっていた悪党たち。
そこでもめ事が起き、
殺人沙汰となる。それぞれが
隠れ家から逃亡する中、
ヴィヨンは父親からも母親からも
拒絶される。
行くあてのなくなった彼は
見知らぬ老人の家のドアを…。

スティーブンスンの作品です。
行く当てのない悪党が、
見知らぬ老人の家に
上がり込むのですから
何も起きないはずはありません。
強盗殺人か?
それとも老人が妖術を使うのか?
いや、主人公が
奇妙な世界に入り込むのか?
そうした期待は見事に裏切られます。
起こるのは…、口論だけです。
しかし、そのやりとりこそが
本作品のクライマックスであり、
味わいどころへと
つながってくるのです。

〔主要登場人物〕
フランソワ・ヴィヨン

…大学を卒業し修士となったが、
 悪の道へと進んだ青年。詩をつくる。
ニコラ師
…修道士。ィヨンの泥棒仲間の一人。
ギー・タバリー
…ヴィヨンの泥棒仲間の一人。
テヴナン・パンセート
…ヴィヨンの泥棒仲間の一人。
 仲間から刺殺される。
モンティニー
…ヴィヨンの泥棒仲間の一人。
 衝動的にテヴナンを刺し殺す。
「女」
…道端で倒れて死んでいた女。
 逃亡中のヴィヨンが見つけ、
 所持していた小銭を奪う。
「司祭」
…サン・ブノワ教会の司祭。
 ヴィヨンの養父。
 ヴィヨンの来訪を断る。
「母親」
…ヴィヨンの母親。
 ヴィヨンの来訪を断る。
「老人」
…行くあてのなくなったヴィヨンが
 訪れた家の主人。
 名前は「アンゲラン・ド・ラ・フイエ」。
 かつて騎士だった。

本作品の味わいどころ①
風前の灯火のようなヴィヨンの命

「時は一四五六年…」という
一文から始まる本作品、
舞台は十五世紀半ばのパリなのです。
しかし当時のパリは
「華やかな都」などではなく、
「死と隣り合わせの地獄」に
近い状況でした。
イギリスとの百年戦争が
終結(1453年)した直後です。
長引く戦争で農村は荒廃し、
職を失った兵士たちが強盗団となって
横行していたのです。
飢えた人々が職を求めて
パリに流入しましたが、
街には彼らを受け入れる余裕はなく、
路上で凍死・餓死する人々は
日常的な光景でした
(作品中にも路上で行き倒れて
死んでいる女性が描かれている)。

加えてこの時代は地球規模で
気温が低下した「小氷期」にあたります。
一四五六年の冬も記録的な酷寒で、
セーヌ川が凍りつき、
狼が飢えてパリの市街地にまで侵入し、
子供を襲ったという記録すら
残っているのです。
貧困層にとって雪の降る夜の路上は、
そのまま「死」を意味する、
極悪の環境下なのです。
ヴィヨンが必死に
「その夜の宿」を探していたのは、
単なる快適さのためではなく、
文字通り生存をかけた
切実な行動だったのです。

しかもヴィヨンは養父にも実母にも
見捨てられています。
なんと実母には玄関先で
汚水を浴びせられる始末です。
気温は恐らくマイナス十度。
衣服が濡れている状態であれば、
命を朝まで保つことは
できないでしょう。
ヴィヨンが老騎士の門を叩いたとき、
彼は物理的にも精神的にも
「詰み」の一歩手前にいたのです。

前述したとおり、
本作品のクライマックスは
後半部分の老騎士との対話の場面です。
しかしそこにいたるまでの
ヴィヨン足取りが、
単なる「逃走」などではなく、
「決死の逃避行」であることを
味わう必要があるのです。

本作品の味わいどころ②
一歩も譲らぬヴィヨンと「老騎士」

その上での
「老騎士」と対峙する場面となるのです。
この物語の面白さは、
実在の放浪詩人フランソワ・ヴィヨンと、
彼が逃げ込んだ屋敷の主人である
老騎士アンゲラン・ド・ラ・フイエとの
対比にあります。
ヴィヨンは、知性は高いのですが、
身体は冷え切り、空腹であり、
生きるために盗みや殺人を厭わない
「現実の泥」の中にいる男です。
一方、老騎士は、暖かな部屋で、
名誉や義務といった
「高潔な理想」を語る男として
描かれているのです。

ここでもやはり、
当時のパリの極限状態が
下地となっています。
悪党であるヴィヨンが、
老騎士を殺害し、
強盗におよぶ展開もあり得たでしょう。
しかしそれは極寒の中で冷え切った、
しかも空腹の彼の身体では
困難だったはずです。
老いたりとはいえ、相手は元騎士です。
返り討ちに遭う可能性もあります。
安全に逃げ切れる保証のないことも
作中に記されています。
ヴィヨンが老人を殺さなかったのは、
単に「リスクが大きいから」に
過ぎないのです。

一方で老騎士の熱く語る「正義」も、
ヴィヨンのような
極限状態にある人間には
一切響きません。
反対にヴィヨンは老人に、
「兵士が戦場でやっている殺戮と、
自分が空腹でやる泥棒に
どれほどの違いがあるのか」と
詰め寄ります。
そのやりとりは論理的ですらあります。
「悪党兼修士」という
ヴィヨンのキャラクターが
存分に生かされているのです。
作者スティーブンスンはここで、
「暖かい部屋でぬくぬくと語られる
正義」にどれほどの価値があるのか?
という問いを
投げかけているようにも思えます。

ヴィヨンと老騎士の対話

本作品の味わいどころ③
スティーブンスンの意図はどこに

ここまで見てきたように、
本作品には他の
スティーブンスン作品のような
幻想怪奇色はありません。
ではスティーブンスンの意図は
どこにあるのか?

一つは「生活環境が道徳をつくる」という
皮肉でしょうか。
どれほど立派な理想を掲げても、
人は寒さと飢えの前では、
誇りよりも「生き延びること」を
選択せざるを得ないのです。
ヴィヨンの冷笑的な態度は、
特権階級の偽善に対する
スティーブンスンなりの批判とも
受け取ることができます。

もう一つは、実在する
「悪党兼修士」ヴィヨンへの
興味関心でしょうか。
スティーブンスンは、
詩人としてのヴィヨンの才能を
愛しながらも、
人間としての彼の不品行を
冷徹に見つめたのでしょう。
本作品は、美学(詩)と倫理(行動)が
乖離した人間の姿を、
ありのままに描こうとした
一種の人物造形実験だったということが
できるのです。

そう考えたとき、本作品は実は、
スティーブンスンが
「ジキルとハイド」で試みた主題
「人間の二面性」と「道徳の不確かさ」が、
非常に鋭い形で凝縮されているのです。
怪奇小説ではありませんが、
「人間の心の奥底にある
割り切れない闇」を見つめる視線は、
確かにスティーヴンスンらしい
一作といえるでしょう。

スティーブンスンの面白さは、
「宝島」や「ジキルとハイド」のような
メジャー作品のみに
あるのではありません。
いくつも残した短篇作品それぞれにこそ
味わい深さが潜んでいるのです。
実在の「悪党兼修士」
フランソワ・ヴィヨンを主人公に据えて
歴史の空白に物語を織り込んだ
スティーブンスンの逸品、
ぜひご賞味ください。

〔フランソワ・ヴィヨンについて〕
実在したフランソワ・ヴィヨン
(1431年頃-1463年以降)は、
スティーブンスンが描いた以上に
「筋金入りの悪党」であり、
同時に「不世出の天才詩人」だったことが
知られています。
驚くべきことに、
彼の生涯については伝説ではなく、
当時の裁判記録や特赦状といった
公的な文書として
数多く残っているのです。
生々しい犯罪記録は以下の通りです。
①殺人事件(1455年)
喧嘩の末に司祭を刺殺。
正当防衛が認められて特赦される。
これが転落の始まりとなります。
②窃盗事件(1456年)
パリ大学ナヴァール学院に侵入、
仲間とともに大金を盗み出す。
③強盗団への関与
当時フランス全土を震撼させていた
大規模強盗団の一員だったという説が
有力。
④死刑判決(1462年)
乱闘事件を起こし、
絞首刑を宣告される。
このように、ヴィヨンの生涯はまさに
「逃亡と投獄」の繰り返しだったのです。

ヴィヨンが特異であるのは、
これほど無頼な生活を送りながら、
パリ大学で修士号を取得した、
いわば超エリートだった点です。
本作品中でヴィヨンが
老騎士と高度な議論を
戦わせることができたのは、
彼が当時の最高学府で
神学や法学を修めた
インテリだったという史実に
基づいているのです。

1463年、死刑判決が
「十年間のパリ追放」に
減刑されたのですが、
彼はパリの門を出たきり、
歴史の表舞台から
完全に姿を消しました。
どこで野垂れ死んだのか、
あるいは生き延びたのか、
今も分かっていません。

(2026.4.15)

〔「マーカイム・壜の小鬼 他五篇」〕
その夜の宿
水車小屋のウィル
天の摂理とギター
ねじれ首のジャネット
マーカイム
壜の小鬼
声たちの島
 訳注/解説

「ねじれ首のジャネット」

〔関連記事:スティーブンスン作品〕
「宝島」
「ジキル博士とハイド氏」

「ファレサアの濱」
「瓶の妖鬼」

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