「明暗」(夏目漱石)②

視点人物の移動と実況中継される心理戦

「明暗」(夏目漱石)新潮文庫

昨日、本作品は他のどの漱石作品とも
違っていると書き、その一つとして
個性的な登場人物について述べました。

本作品のもう一つの特徴は、
三人称で書かれ、
その視点が移動することです。
これまでの漱石作品は、
三人称であっても視点は常に
男性主人公に固定されていました。
しかし全188話のうち、
はじめは津田視点、
それが45話には「手術後の夫を…
自分一人下へ降りた時、お延は…」と
お延視点へと突然変わります。
そして91話の秀子視点を経て、
92話から再び津田視点。
それ以降も周辺人物へ
視点が寄り添う部分が散見されます。

その特殊な作品形式が
もたらすものは何か。
それは作中人物の
思惑のさまざまなせめぎ合いが、
読み手に次から次へと
迫って来るという効果です。
しかもそれは心理的戦闘となり、
それが本作品の読みどころなのです。

3~8話の津田vs延子、
10~12話の津田vs吉川夫人、
25~32話の
津田vs藤井夫人(津田の叔母)、
ここまでは双方ジャブの応酬と
いったあたりでしょうか。

34~37話の津田vs小林、
38~44話の津田vs延子、
61~69話の延子vs岡本夫妻、
このあたりから右ストレートが
繰り出される展開となっていきます。

81~88話の延子vs小林、
ここでは延子が小林から
一方的に激しい攻撃を受け、
ダウン寸前まで追い詰められます。
92~102話の津田vs秀子は
お互いに興奮し、泥仕合の様相、
104~110話ではそこに延子が乱入し、
三つどもえの激しい戦いへと
続いていきます。

116~121話の津田vs小林、
126~130話の延子vs秀子の
リターンマッチを経て、
いよいよ乱打戦へ突入します。
131~142話の
津田vs吉川夫人は両者猛攻、
必殺ブローを繰り出した吉川夫人が
勝利しています。
145~152話の津田vs延子は
津田の作戦勝ち、
156~166話の津田VS小林も
激戦でしたが
小林の判定勝利でしょう。

視点人物の移動という手法によって、
こうした心理戦は
どの対戦カードであっても
あたかも実況中継を見ているように
読み手に迫ってくる
しくみになっているのです。
この曲者たちの思惑のぶつかり合い、
スリリングな心理戦こそが
本作品を読む面白さなのです。

漱石が最後に挑戦した、
文学の新しい形だったのかも
知れません。

(2018.9.1)

【青空文庫】
「明暗」(夏目漱石)

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