「老年」(芥川龍之介)

処女作にはその作家のすべてがある

「老年」(芥川龍之介)
(「芥川龍之介全集1」)ちくま文庫

一中節の順講があった料理屋で、
中州の大将と小川の旦那が、
昔盛んだった店の隠居・房さんの
武勇伝を聞きたがったが、
房さんはまったく乗ってこない。
ところが
二人が母屋の方へ回ったとき、
障子の向こうから
房さんの艶声が…。

この房さんは遊び人の中の遊び人。
放蕩をし尽くして
無一文になってしまったものの、
運良く楽隠居に収まっているという
身の上です。

さて、遊び人から浮いた話を聞くのが
男は大好きです。
大将と旦那の二人も例に漏れません。
二人はなんとか房さんの
若い頃の色恋話を聞きたかったのです。
ところが、
房さんはさっさと座を外す始末。

それが小用を足した後に回った母屋で、
障子の向こうから房さんの
女を口説くような声が
聞こえてきたから
二人はたまりません。
でもそっとのぞいたら…、
そこに女の姿はなく、
房さんが猫とじゃれている
だけだったというお話です。

たったそれだけの短篇作品なのですが、
本作品には三つの
「芥川らしさ」が充溢しています。

一つめは最後の突き落としです。
本作品の最後の三行も見事です。
「中洲の大将と小川の旦那とは黙って、
 顔を見合せた。
 そして、長い廊下をしのび足で、
 また座敷へ引きかえした。
 雪はやむけしきもない。……」

二人の助平根性を
最高点まで高めておいて、
一気にぶちこわします。
それまでの小料理屋での
華やかな色彩感が、
あっという間に色を失い、
白黒世界へと早変わりします。
この終盤のどんでん返しこそ、
芥川の真骨頂です。

二つめは精巧な舞台づくりです。
詳しく紹介する余裕がないのですが、
芥川の日本芸能
(本作品では一中節=古浄瑠璃の一種)
に対する知見が、
全編にわたって散りばめられています。
こうした豊富な知識に裏打ちされて
物語が高度に完成しているのも、
芥川作品に共通している特徴です。

三つめは果てしなく広がる虚無感です。
本作品も、
やはり年をとればこのようなもの、
という虚無感だけが残ります。
若さのかけらの微塵も見られません。
やるせない読後感の創出において、
芥川の右に出る作家はいないでしょう。

この三つの「芥川らしさ」の漲る本作品、
実は芥川の第一作目の作品なのです。
「処女作には
その作家のすべてがある」という言葉は
間違っていません。
本作品が芥川の出発点であると同時に
作品世界そのものなのです。

それにしても初作品で「老年」。
やはり芥川、ただ者ではありません。

※芥川に匹敵するのは
 やはり太宰でしょうか。
 太宰の処女作品集の表題「晩年」も、
 相当に虚無感が漂っています。

(2018.10.13)

【青空文庫】
「老年」(芥川龍之介)

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