「貧しき人々」(ドストエフスキー)②

本作品の本質を読み取って欲しい

「貧しき人々」
 (ドストエフスキー/安岡治子訳)
   光文社古典新訳文庫

前回は本作品を取り上げ、
「不平等社会を真っ正面から取り上げた
ドストエフスキーの若い魂をこそ
読み味わうべき」と書きました。
でも、もしかしたら
若い人が本作品に接したとき、
なかなか理解が進まない側面が
あると思うのです。

一つは書簡体小説という、
登場人物の書簡を積み重ねて
形成していく作品形態です。
大きな事件は
描きにくいのかも知れません。
淡々と日々が過ぎていく感じがして、
若い人は飽きてしまうのでは
ないかという心配があります。
書簡体小説では
「あしながおじさん」も同様です。
「若きウェルテルの悩み」も
書簡体なのですが、
主人公が自殺する「大事件」の起きる
直前で書簡体を止めています。

もう一つは47歳男性と18歳少女という
主人公二人の年齢差です。
現代日本ではまともに
受け止められにくいのでは
ないでしょうか。
下心を持って少女に接しようとする
中高年男性が溢れている我が国では、
ワルワーラに対するマカールの誠意は
歪めて捉えられる可能性があります。

そうした作品鑑賞における
難しい面があるものの、
それはまた同時に、
本作品の魅力を知る
糸口でもあるのです。

書簡体という形態から伝わるのは、
二人の精神そのものです。
時として貧しさに打ちのめされ、
そうでありながらも
貧困に耐えようとする
マカールの人間としての誇り。
時として病に負けそうになり、
それでいて相手を第一に思いやる
ワルワーラの女性としての優しさ。
二人の心の揺れ動きと
感情に伴う心臓の鼓動が、
往復する書簡から
手に取るように伝わってくるのです。

二人の年齢差が表しているのは、
肉体に走らない純粋な魂の存在です。
最後は別れ別れになる二人の出会いは
決して無意味ではありません。
マカールの書簡は
本人も書き記しているように、
日を追うごとに洗練され、
成長を見せているのです。
ワルワーラが地主との結婚を選んだのは
金に目がくらんだのではありません。
「貧困による死」よりも
「苦渋だけの生」を選んだのです。
二人とも人間としての尊厳を、
最後まで失っていないのです。

この難しい作品を、
中学校3年生に薦めたいと思うのは、
そうした作品の本質を
読み取って欲しいと願うからです。
もちろん、
ここに到達できるためには
相応の読書経験を
積み重ねている必要があります。
中学校1年生から
段階的に適切な良書と出会い、
本書まで辿り着くことが
できるのであればと思います。

(2018.11.8)

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