「オズの魔法使い」(ボーム)②

徹頭徹尾子どもの目線で楽しみましょう

「オズの魔法使い」(ボーム/江國香織訳)小学館文庫

ドロシー・かかし・
きこり・ライオンの4人は、
オズに願いを叶えてもらうため、
西の魔女を退治しに行く。
その動きを
いち早く察知した魔女は、
40匹のオオカミ軍団を組織し、
4人を襲撃させる。
「私に任せて」と、
きこりは迎え撃つ…。

きこりはどうするか?
磨き上げた斧でばったばったと
「オオカミの頭を身体から
切りおとしました」。
このあたりが本作品の
「統一感がない」
「残酷な部分がある」というふうに
指摘されている部分の
一つなのだと思います。

きこりは道ばたの虫さえも
踏み殺さないように
気を付けているという
きわめて優しい性格が
強調されている反面、
野鼠を食べようとしていた山猫を
一刀両断にしたりもしています。

これは「矛盾」ではなく、
童話特有の「勧善懲悪」の
視点なのでしょう。
ねこがねずみを食べるのは、
童話の世界では「食物連鎖」ではなく、
「悪」なのです。
きこりの行為は優しさが強いために
「善」であるねずみの命を守り
「悪」である山ねこを成敗したのです。
40匹のオオカミも「敵」である以上、
首をすべてはねられても
仕方ないのです。

そのオオカミの場面に続く描写も
首を傾げる方がいても
おかしくありません。
「目がさめて、
 オオカミの山を見た少女
(ドロシー)
 ひどく怯えましたけれど、(中略)
 すわって朝食を食べました。」
死体の山のそばで女の子が平然と
朝ご飯を食べる姿を想像すると、
気持ち悪くなります。

しかし、読んでいる間は
それがまったく気になりません。
本作品はやはり童話として
つくられているからです。
「血しぶきが飛んだ」というような
細かな描写が全くありません。
「ヘンゼルとグレーテル」が
魔女をかまどで焼き殺すのや、
「ピーター・パン」が
大勢の海賊を刺し殺すのと同じです。

本作品を「現代のおとぎ話」として
つくったことを、
作者・ボームが記しています。
「矛盾」だとか「残酷」だとかの
大人目線を持ち込まず、
徹頭徹尾子どもの目線で
童話として楽しむのが、
本作品の楽しみ方なのです。

加えて江國香織の
敬体(です・ます調)の訳文が、
いっそう「童話」らしさを
強めています。
私は前回取り上げた
河野万里子訳(常体文)よりも
こちらの方がしっくりきます。

童話を純粋に童話として楽しめる
中学校1年生に薦めたいと思います。

※本作品を楽しむ場合、
 もう一つ大切なのが「挿画」です。
 江國訳は植田真、
 河野訳はにしざかひろみです。
 植田真の画は好きなのですが、
 本作品にはあまり
 合っていないような気がします。

(2019.1.24)

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