「おれがあいつであいつがおれで」(山中恒)

「らしさ」に直面する、入れ替わった二人

「おれがあいつであいつがおれで」
 (山中恒)角川文庫

さえない男の子・斉藤一夫のクラスに
斉藤一美という女の子が
転校してきた。
一夫と一美は
同じ幼稚園に通っていた仲だった。
一美に昔の秘密をばらされた一夫は、
ちょっと脅かしてやろうと
「身代わり地蔵」の前で…。

前回取り上げた「君の名は。」を
読んで思いだしたのが本作品です。
確か中学生の頃読んだ記憶があります。
そして「転校生」というタイトルで
映画化されたものを観ました。
さっそく読み返してみると、
新しい発見がありました。

おぼろげな記憶の中では、
「おしとやかな女の子」と
「乱暴な男の子」が入れ替わる、
というイメージがあったのですが、
そうではありませんでした。
一夫は確かに喧嘩っ早いのですが、
優しさに溢れていて、
周囲もそれを認めています。
一美も間違いなく
美人で優しいのですが、
活発でやんちゃな一面を
持っているのです。
女子の要素を持った男の子と
男子の因子を持った女の子なのです。

その二人が入れ替わってさえ、
女子の身体は一夫の理解を超え、
男子の五体は一美の想像を
超えているのです。
男女の壁は
私たちが想像している以上に
大きいのです。

そして二人は
身体が入れ替わることで、
否応なしに「らしさ」を
求められることになります。
言葉づかいや振る舞いから始まり、
考え方や能力に至るまで、
「男らしさ」「女らしさ」と
直面することになるのです。

一美(になった一夫)の
誕生パーティに呼ばれた
一夫(になった一美)は、
「ママのところに行って、
手伝いなさい」と耳打ちします。
こういう些細なところにも実は
「らしさ」が潜んでいることに
気付かされます。

しかし作者・山中恒は、
「男子は男子らしく、
女子は女子らしく」などと
いっているのではありません。
むしろ日本社会に根付いている
「らしさ」に疑問を呈し、
性差を超えて
人間の本質的な素晴らしさにこそ
目を向けるべきだと
訴えているのだと思うのです。

山中は
名作「ぼくがぼくであること」でも
「正しい子どもの姿」を明確に否定し、
自らの意志で行動することの
大切さを描いています。

本作発表は1979年。
当時から比べると
格段にジェンダーフリーが進んだ
現代においても
新鮮さは失われていません。
少なからぬ問題提起を含んだ、
児童文学の傑作です。

※尾美としのり・小林聡美の
 1982年の映画しか
 知らなかったのですが、
 何度も映画化TV化されていました。
 82年版は小林聡美に
 色気がなさ過ぎて(すみません)
 あまり好きではなかったのですが、
 私の所有している文庫本の
 表紙にもなっている
 2007年の映画の蓮佛美沙子、
 素敵です。
 AmazonPrimeで映画を見ましたが、
 ものすごく素敵でした。

(2019.4.5)

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