「千姫と乳酪」(竹田真砂子)

新しい衣装をまとった千姫像

「千姫と乳酪」(竹田真砂子)
(「牛込御門余時」)集英社文庫

牛込御門近くに立つ吉田御殿。
そこで暮らす
徳川秀忠の娘・千姫が、
夜な夜な男を玩び、
殺害するという噂が立っていた。
世に言う「千姫君御乱行」の
真偽を確かめようと
吉田御殿に忍び込んだ
大工の喜蔵が見たものは…。

「いつもの赤ら顔から血の気が失せ、
唇はわなわな、
体の震えも止まらない」ほどの
彼が見たものは、
蓑虫のように体中を
グルグル巻きにされた人間が
木に吊され、
女衆に棍棒で打擲されているという
何ともおぞましい光景。
そこここに異臭が立ちこめ、
妖しげな雰囲気に
屋敷中が覆われていたという。
ホラー小説かマゾヒズム文学かと
うろたえながら読み進めると、
なんとこれは「乳酪(バター)づくり」。
千姫は大阪城で
淀君から勧められたバターに魅せられ、
吉田御殿を建造させ、
そこで密かに
バターづくりに勤しんでいたのでした。

千姫は淀君と
バターによって結ばれていた、
大阪落城の折には
バターによって千姫が救われた、
献上したバターが
将軍家光を衆道から立ち戻らせた、
良いバターをつくるために
当時禁制の白牛を
南蛮から取り寄せていた、
それを世間に知られないように
「千姫乱行」の噂が
意図的にばらまかれた等々、
千姫伝説から
巧みに新しい物語を生み出しています。

千姫がバターをつくって愛好していた、
などと史実のどこにもないはずです。
おそらく作者・竹田の創作でしょう。
しかしすべてに納得できるような
設定が成されているのです。
見事なストーリーテリングです。

ただし読み味わうべきは
設定の面白さではありません。
激流ともいえる運命に
飲み込まれながらも
それに屈せず生きる千姫の姿こそ
本作品の肝なのです。

幼い内から政略結婚
(というより実質人質)のために
落日の豊臣家に入り、
豊臣滅亡の折は
命からがら逃げおちる。
二度目の夫も夭折し、
将軍家お預けとなる。
縋る者すらない中で、
女として人として
懸命に生き抜いているのです。

孤独でありながらも
孤高であり続けるしなり強さ。
乱行の噂さえ「まあ、よいわいの」と
受け流す図太さ。
与えられた境遇の中で
周囲と敵対するのでもなく
迎合するのでもなく
自らの生き方を貫くしたたかさ。
400年の時を超えて
新しい衣装をまとった千姫が、
読み手の心に像を結んでいきます。

時代小説の面白さを
また一つ堪能することができました。
春の夜の読書にいかがでしょうか。

※先日取り上げた
 有吉佐和子「千姫桜」
 千姫も魅力的でしたが、
 こちらの千姫も
 味わい深いものがあります。
 読み比べてみてはいかがでしょうか。

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(2019.4.30)

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