「真理先生」(武者小路実篤)②

40年積み重ねてそれでようやく「芽が出て来た」

「真理先生」(武者小路実篤)新潮文庫

精神一到何事か成らざらん。
よく聞く言葉です。
でも、私はこの言葉の意味を
正しく理解できていませんでした。
「気合いを入れれば何でもできる」
ぐらいの軽い気持ちで捉えていました。

前回取り上げた「真理先生」。
小説というよりは
平易な言葉で編まれた哲学書という
印象を受けます。
ところどころに
人生を前向きに生きるための
助言が盛り込まれています。

馬鹿一の絵を見て、
本作品の語り手「僕」が感じたのがこの
「精神一到何事か成らざらん」なのです。
そしてそこにはこう続きます。
「真剣な気持ちでの追求を、
 馬鹿一は何年も何年も、
 くり返しくり返し
 毎日毎日続けて来たのだ。
 一歩一歩、一寸一寸、一毫一毫、
 彼は毎日目的に向って
 追求して来た。
 その真剣な勉強こそ、
 いつのまにか、
 今日の彼を築き上げたのだ。」

画家・白雲も言います。
「絶えず勉強するもの、
 絶えず進歩するものは、
 いつかものになる」

愚直なまで同じことの繰り返しを
絶え間なく行う。
それによるわずかずつの進歩が
大切なのです。

最近の子どもたちはこれが苦手です。
地道にコツコツやることを、
まるで格好悪いことのように
感じている子どもが多く、
指導に苦慮します。
わずかずつの前進で
着実にゴールに到着することを拒み、
労せず一足飛びに
着地することを望むのです。

だから何か困難なことがあると、
それを乗り越えようとしません。
壁を回避する道程を選択します。
精神的にひ弱な子どもが
増えているのです。

さて、本題に戻り、
では馬鹿一はどれだけの
積み重ねを行ってきたのか?
馬鹿一の年齢については
「馬鹿一」では述べられていません。
本書ではわずか数カ所に
それを感じさせる文言があります。
馬鹿一は実は初老の人です。
文章を読む限り
青年の印象を受けるのですが、
実に40年
絵を描き続けてきているのです。
来る日も来る日も石と草の絵を。
40年積み重ねてそれでようやく
「芽が出て来た」と
自身で振り返っているのです。

私は教職に就いて31年。
今一度謙虚になって、
いつか「ようやく芽が出て来た」と
語れるようになりたいと
思っています。
あと7年しか在りませんが。
精神一到何事か成らざらん。
読むと背筋がピンと伸びるような本書、
お薦めです。

(2019.6.4)

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