「僕は、そして僕たちはどう生きるか」(梨木香歩)②

考え続けなければならないのです その2

「僕は、そして僕たちはどう生きるか」
(梨木香歩)岩波現代文庫

前回、本書について、
「考えなければならない問題点を
数多く含んだ作品」と紹介しました。
もう少し考えてみたいと思います。
今回は「自然と開発」についてです。

コペル、ユージン、ショウコは庭にある
植物・ウコギやスベリヒユを使って
昼食を作り始めます。
庭はユージンのおばあちゃんが
丹精込めてつくりあげたもので、
自然の恵みがふんだんにあります。
彼女は生前、近くの駒追山が
開発されようとしたとき、
いくつかの植物を
庭に植えかえしていたのです。
3人は自然保護の
在り方について考えます。

多種多様な植物が、
全ての作品に主役・脇役として
描かれていることからわかるように、
作者・梨木は植物を慈しみ、
その多様性を愛し、
自然の命の大切さを
誰よりも理解していることは
疑いようがありません。
しかし、やはりこの点についても
作者は自身の意見を
前面に押し出してはいません。
いくつかの視点から
複数の考え方を提示するだけに
とどめているのです。

作者は「植物を含めた生態系全体を
守ることが大切である」ということを
登場人物に語らせる一方で、
どうしても自然を
受け入れることのできない
人間についても言及しています。
「よし、ここもきれいに
コンクリートで固めて
すっきりさせてしまおう、と
本能的に思う人たち」
「ここはまだまだ
開発の余地が残っているぞ、って
ワクワクする人たち」と。
そして「そういうふうに
いろんな人たちがいるってことは
おそらく善悪の基準では
測れないことなんだよ。」と。
失われていく植物を自宅の庭に移植し、
わずかでも種を保存しようという
ユージンのおばあちゃんの考え方は、
いわば消極的折衷的な
在り方と言えるでしょう。

いろいろな考え方を提示するとともに、
作者は登場人物に
こうも語らせています。
「いつ何時、何がどうなるか
全く分からない、
気づいたときは遅かった、ってことが、
本当に起こるんですよ」。
考えるだけでなく、
具体的な行動に結びつけることを
暗に求められているような
気がしました。

開発の上に
人間の文化文明を築き上げた大都市と、
美しい自然を残したまま
消滅しようとしている地方。
現代日本は自然と開発についても
大きな問題を抱えているのです。
一人一人が真剣に受け止め、
自分の頭でしっかり考え、
そして動き始めなければならない
時代なのでしょう、現代は。

(2019.6.6)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA