「からし」(伊藤たかみ)

「温かな眩しさ」と「嫋やかな哀しみ」

「からし」(伊藤たかみ)
(「オトナの片思い」)ハルキ文庫

カレーを作りながら、
奈美は5年前まで
一緒に暮らしていた
守のことを思い出す。
守はつかみ所がなく、
執着心のない男だったが、
なぜかカレーだけには
不思議なこだわりがあった。
家で食べるカレーは
豚肉なのだという…。

守という男も
つかみ所のない性格ですが、
作品自体もつかみ所がありません。
これといった筋書きが
あるわけではなく、
かつて同棲していた
男の思い出を辿っただけの
短篇だからです。
多くの人に薦めるべき作品かと
問われると答えに窮します。
しかし私は本作品に潜んでいる
「温かな眩しさ」と
「嫋やかな哀しみ」に対して、
何ともいえない味わいを
感じてしまうのです。

同棲とは、
生まれ故郷で仕事を持った私には
経験できなかった生活です。
親元で暮らし、
結婚とともに独立して所帯を持つ。
それが田舎では一般的だからです
(少なくとも私のような
教育公務員にとっては)。

したがって若い男女の同棲は、
私にとってはとても羨ましく思います。
結婚と異なり
「責任」や「将来」ということが
明確に見えていない分、
窮屈さや息苦しさが
ないのだと思います。
だからこそ一人の男性として、
一人の女性として、
相手と対等に向かい合うことができる。
そうした姿が描かれているだけで、
私には本作品が
きらきらと輝いて見えるのです。

それでいて本作品は、
至るところに哀しみの影
(具体的には別れの影)が
見え隠れしているのです。
仕事を頻繁に変えるという
守の無頓着な性格は、
奈美にとっては「二人の部屋の中でなら
かまわないのだけれど、
いったん外に出ると、
決していいものではなかった」のです。

「責任」や「将来」が
明確に見えていないということは、
気楽である分、「その先がない」という
不安に繋がるのでしょう。
奈美も三十前ですから。
終末における奈美の飼い猫
「からし」の行動描写が暗示的です。
「眠る地点を探して回る。
 ソファのどこかに
 あるらしいのだけれど、
 からししか知らない場所。
 だから、もう一度探すのだ。
 男も女も探している。
 みんな探して、恋を続ける。」

安住の地を探す過程が
恋愛であり同棲であるならば、
そこには
若さから発散される「温かな眩しさ」と、
先を見通せない「嫋やかな哀しみ」が
潜んでいるのは
当然のことなのでしょう。
五十を越えた私には、
本作品に潜んでいるその二つが、
特に強く感じられてなりません。

(2019.6.24)

chappyさんによる写真ACからの写真

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