「舞姫」(森鴎外)②

エリスと出会う前に豊太郎は悲劇の渦中にいた

「舞姫」(森鴎外)
(「森鴎外全集1」)ちくま文庫

先日は「舞姫」の主人公・太田豊太郎が
封建人としてドイツ留学に
臨んでいたことを取り上げました。
彼がそのまま
封建人であり続けていたならば、
何事も起きず、
したがってエリスとの悲劇も
起きなかったのでしょう。
しかし、豊太郎は変化していったのです。
転機は留学3年目、25歳のときでした。

「既に久しくこの
 自由なる大学の風に
 当りたればにや、
 心の中なにとなく妥ならず」

当時のヨーロッパの自由な空気、
つまり家や国にしばられることなく
一個人が一個人として
振る舞える社会の中で、
豊太郎は変わっていったのです。
いや、変わったというよりも、
本当の自分に出会えたといった方が
今風でしょうか。
「奥深く潜みたりしまことの我は、
 やうやう表にあらはれて、
 きのふまでの我ならぬ我を
 攻むるに似たり。」

その結果、豊太郎はどうなったか?
「今までは瑣々たる問題にも、
 極めて丁寧にいらへしつる余が、
 この頃より官長に寄する書には
 連りに法制の細目に
 拘ふべきにあらぬを論じて、一たび
 法の精神をだに得たらんには、
 紛々たる万事は
 破竹の如くなるべしなどゝ
 広言しつ。」

些末にこだわるべきではなく、
法律の趣旨に添って考えると
明快に解決できるはずである、
と上官に進言(というより口答え)
するようになったのです。
これが豊太郎の自我の目覚めなのです。

ここで気を付けるべきは、上官は単に
頭が固いということだけではなく、
「封建人」であるということなのです。
「官長はもと心のまゝに用ゐるべき
 器械をこそ作らんとしたりけめ。
 独立の思想を懐きて、
 人なみならぬ面もちしたる男を
 いかでか喜ぶべき。」

組織の一員として
君臨している上官からすれば、
その部下である豊太郎にもまた
自らに従順なる歯車であることを
望んでいるのです。
しかし、
自我に目覚めてしまった人間など
不要以外の何物でもありません。

かくして自我に目覚めた豊太郎は、
封建人である同郷人たちと
袂を分かつこととなるのです。
「伯林の留学生の中にて、
 或る勢力ある一群と余との間に、
 面白からぬ関係ありて、
 彼人々は余を猜疑し、
 又遂に余を讒誣するに至りぬ。」

豊太郎の自我の目覚めと
それによる同郷人たちとの離反。
これで悲劇の生じる
舞台は整ったのです。
エリスとの悲劇は
必然的に起こったものなのです。

エリスと出会う前に、
すでに豊太郎は
悲劇の渦中にいたのです。
これが自我に目覚めた近代人の
孤独というものなのでしょう。

(2019.6.26)

【青空文庫】
「舞姫」(森鴎外)

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