「倫敦塔」(夏目漱石)

凄まじいまでの空想力です

「倫敦塔」(夏目漱石)
(「倫敦塔・幻影の盾」)新潮文庫

英国留学中の「余」は、
行くあてもなく
倫敦を彷徨った後、
倫敦塔に辿り着く。
「余」はそこで、
囚人船で運ばれてきた古人たち、
殺害されたエドワード4世の
二人の小児、
悲劇の死を遂げた
ジェーン・グレーなどの
幻影を見る…。

「倫敦塔の歴史は英国の歴史を
 煎じ詰めたものである。」

この一文こそ、
本作品の出発点と考えられます。
英国の歴史を、漱石は倫敦塔という
輝かしい記念碑の中に
見いだしているのです。

一つは聖タマス塔・逆賊門に見た
囚人たち。
大僧正クランマーは1553年に
倫敦塔内に幽閉された後に
処刑されています。
英国軍人・ワイアットは
女王メアリー一世の結婚に反対して
反乱を起こし、捕らえられて
やはり処刑されています。
同じく軍人・ローリーは
陰謀の嫌疑で捕らえられ、
塔内に13年間幽閉され、
処刑されています。
こうした逆賊の汚名を
着せられた古人たちが、
護送船から門へと引き立てられる場面を
「余」はありありと見ているのです。

一つは血塔で見た
エドワード4世の二人の息子たち。
12歳で王位を継承したエドワード5世と、
その弟・9歳のヨーク公は、
1483年に塔に幽閉された後、
消息不明(暗殺された?)と
なっています。
その二人が震えおののいている様が
「余」の脳裏に浮かんだのです。

そして一つはボーシャン塔で見えた
「9日間の女王」と呼ばれる
ジェーン・グレーの処刑の景色。
美貌と学才で知られた彼女は、
1553年に数奇な縁で女王に即位するも、
僅か9日後には廃位され、
塔に幽閉されるのです。
夫・ギルドフォードと前後して
斬首刑に処せられる様を、
「余」は見て取るのです。

ここに物語はありません。
ただただ「余」の空想のみが
存在するのです。
憧れの英国の地に着き、
その煌びやかな街並みや建造物に
魅せられながらも、
そこに血の臭いをかぎ取ったかのような
記述が続きます。
英国の歴史は、とりわけ王室の歴史は
血で血を洗うような歴史の
連続だったことを思い知らされます。

それにしても
凄まじいまでの空想力です。
もちろん語り手の「余」は
漱石自身の反映に違いありません。
この空想力こそ、
後の名作群を生み出す
原動力となったのでしょう。

ユーモアに富んだ「吾輩は猫である」と
同時期に完成したとは思えないほど、
文章が硬質で
気難しい感のある作品です。
しかし咀嚼するように読み込むと
何とも言えない味わいに溢れた
作品であることに気付くはずです。
高校生に薦めたい漱石初期の逸品です。

(2019.7.19)

Ana GicによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「倫敦塔」(夏目漱石)

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