「走れメロス」(太宰治)

深い芸術性に裏打ちされた娯楽作品

「走れメロス」(太宰治)
(「走れメロス」)新潮文庫

捕らえられたメロスは、
村に残した妹に
祝言を挙げさせるため、
3日間、刑の猶予を願い出る。
そしてその人質として
友人セリヌンティウスを指名する。
無事、結婚式を終えたメロスは、
刑に処せられるために
シラクス市へと走る…。

前回、鈴木三重吉の
「デイモンとピシアス」を取り上げ、
本作とのちがいとして、
第1章の議政官ディオニシアスの
性格描写の丁寧さを指摘しました。
議政官は決して悪者として
描かれてはいないのです。

太宰の書いた
本作品の王様はちがいます。
たくさん人を殺します。
自分の妻子はもとより、
兄妹親戚、臣下の者…。
菊池寛「忠直卿行状記」の殿様以上の
悪辣ぶりです。
メロスと市民の会話、
「おどろいた。国王は乱心か」
「いいえ、乱心ではございませぬ」
いえいえ、十分すぎるほど乱心です。

最後の場面、こんな王様に、
「どうか、わしをも仲間に
入れてくれまいか」と頼まれて、
メロスとセリヌンティウスは
「いいよ」と言えるのだろうかと、
つい考えてしまいます。
また、改心した王様に、
群衆は「万歳、王様万歳」と
歓喜するのですが、
どうしてそれで許してしまうの?と
言いたくもなります。

さて、「デイモン」の第2章と本作品は
どうちがうのか?
鈴木三重吉は、第2章は
意外なほどあっさり終わらせています。
というのも、身代わりとなるデイモンの
視点から描いているからです。
牢獄でただ待つ身のデイモンですから、
心理描写以外、
描きようがないのです。

その点、太宰は待たせる立場の
メロス視点で描いたので、
そこにふんだんにドラマを
盛り込むことに成功しました。
一時帰宅して妹の結婚式を開く、
帰路は川が氾濫している、
山賊が襲いかかる、
太陽が照りつける、
疲労困憊の極致に陥る…。
絶望しかけたところから
再び気力を振り絞る。
「もう間に合わない」と
読者に思わせておいて、
ぎりぎりセーフ。
まるで冒険活劇です。

そうです。太宰が目指したのは
エンターテインメントなのです。
悪逆の王様を簡単に許してしまう
民衆の感情の整合性など
たいしたことではないのです。
十里=約40kmの道程なら、
朝出発すれば歩いても日没までに
楽々到着するのでは?という疑問も
差し挟んではいけないのです。
細かいところは気にしない。
ハリウッド映画ばりの娯楽性を
優先させた作品と解釈すべきです。

では、本作品に文芸性はないのか?
決してそうではありません。
「友情と信頼」という前向きなテーマを
極限まで浮き彫りにした作品構成。
声に出して読みたくなるような
格調の高い文章。
物語りを引き立たせるリズム感と
スピード感溢れる日本語。
深い芸術性に裏打ちされた
作品なのです。

だからこそ、中学校の国語教科書に
採用され続けているのでしょう。
押しも押されもせぬ
日本文学の傑作です。

(2019.9.2)

Johannes PlenioによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「走れメロス」(太宰治)

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