「神馬」(竹西寛子)②

読む度にその美しさに魅せられてしまいます

「神馬」(竹西寛子)
(「教科書名短篇 少年時代」)中公文庫

前回取り上げた「神馬」
美しい短編小説です。
読む度にその美しさに
魅せられてしまいます。

本作品はまず第一に
日本語が美しいのです。
磨き抜かれた白米を
低温で丹念に発酵させて醸造した
一級の純米酒のような
深い味わいがあります。

この神馬の毛色は灰色です。
薄汚れたように見える
色合いなのでしょう。
だから少女は
洗えばもっと白くなるのではと
考えるのです。
しかし作者は「灰色」とは書かず、
「雪の前の空合のような毛色」
表現しています。
単に言葉を飾るだけでなく、
そこに少女の神馬に対する
とらえ方を反映させています。

男に手なずけられている神馬を見た
少女の悲しみには
複雑な要素が含まれているはずです。
なぜ悲しいかをあえて書かず、
作者はその悲しみの様子を
次のように表しています。
「ただそれだけが
 手だてでもあるかのように、
 人々の後ろにいて、
 拠りどころの定かでない
 悲しみを悲しんだ。
 誠実に悲しんだ。」

「誠実に悲しんだ」。
文字にすればただそれだけの
一文なのですが、
少女の悲しみの様子を表すのに、
これ以上的確な表現は
ないのではないかと思われます。

そして本作品はさらに
情景描写が巧みなのです。
神社のある島の風景を
緻密に描きながら、
それらが神馬の境遇を
浮き彫りにしているのです。
時計の蓋を開けたときに
精密部品が隙間なく
繋がっているのを見る思いがします。

海の魚について、
「澄んだ水の中の魚は、
 時々目玉と骨だけになって
 直進するように見えた。
 淡紅色の腸ひとつで
 水を切るようにも見えた。」

空の烏について、
「神社の祭りの日も、
 若者の婚礼の日も、
 島はその啼き声で夜が明けた。」

海のひ弱な魚と空の卑しい烏の、
躍動感あふれる生命を
謳歌している姿をさりげなく描出し、
その直後に陸の神馬の
厩舎での様子を叙述しています。
「鬣を振るでもなく、
 床を蹴るでもなく
 まばたきもあまりに間遠だったので、
 少女は、この馬は
 本当に目が見えるのかしらと
 疑ったほどである。」

それはこのあとにつづく
神馬の姿を予感させているのです。

優れた短編小説は、
それだけで一つの
小宇宙を形成しています。
本作品はまさに
そうしたものの一つです。
中学や高校の教科書に
収録されたことのある本作品。
改めて読み直すと、
その懐の深さに驚嘆させられます。

(2019.9.24)

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