「少年の日の思い出」(ヘッセ)①

忘れられない表現やセリフが満載です

「少年の日の思い出」
(ヘッセ/高橋健二訳)
(「教科書名短篇少年時代」)中公文庫

蝶の標本集めに
夢中になっていた「ぼく」は、
隣に住む優等生のエーミールが
希少種のヤママユガを
手に入れたことを知り、
彼を訪ねる。
ところが彼は留守だった。
彼のいない部屋に入った「ぼく」は、
逆らいがたい欲望を感じ、
ついに…。

ご存じヘルマン・ヘッセの名作短篇。
60年以上にわたり
中学生の教科書に掲載され続けたため、
日本で最も知られた
外国の文学作品となりました。
なぜか新潮文庫には
収録されていないため、
本書でようやく再読できました。

あまりの嬉しさに
5回も読み返してしまいました。
懐かしさが込み上げてきました。
忘れられない表現やセリフが満載です。

エーミールについての表現。
「この少年は、
 非のうちどころがないという
 悪徳を持っていた。」

「非のうちどころがない」
などという表現は、本作品以外に
出会った記憶がないような気がします。
いや、私の頭の中では
「非のうちどころがない」=エーミール
くらいに結びついています。

私の大好きな部分。
「『お前は、エーミールのところに、
 行かねばなりません』と
 母はきっぱり言った。」

毅然とした母親の姿です。
なんて厳しい母親だろうと
中学生のとき驚いた記憶があります。
それまで読んだ物語に登場する母親は、
おしなべて
優しい女性ばかりでしたから。

物語のクライマックス。
「エーミールは激したり、ぼくを
 どなりつけたりなどはしないで、
 低く、ちぇっと舌を鳴らし、
 しばらくじっとぼくを
 見つめていたが、それから
 『そうか、そうか、つまり君は
 そんなやつなんだな』と言った。」

名場面です。
名台詞です。
名訳文です。
忘れられません。
エーミールの冷徹な一言が、
「ぼく」の心を
完璧にへし折った瞬間です。

最後の一文。
「そしてチョウチョを
 一つ一つ取り出し、
 指でこなごなに
 押しつぶしてしまった」

なぜ「ぼく」はチョウチョを
すべて押しつぶしたのか?
授業で1時間いっぱい
考えさせられた思い出があります。

大人になってから読むと、
こんなに素晴らしい作品だったのかと
改めて思い知らされます。

中学校時代の教科書など、とうの昔に
捨ててしまった大人のアナタ、
本書を買って、
ノスタルジックに浸ってみませんか。

※それにしても本作品は
 なぜ新潮文庫に収録されないのか?
 事情を知りたいところです。

(2019.10.31)

pictures101によるPixabayからの画像

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