「グービン」(ゴーリキー)

革命の嵐を予見していたかのような鋭い視点

「グービン」(ゴーリキー/中村唯史訳)
(「二十六人の男と一人の女」)
 光文社古典新訳文庫

若い「私」は酒場で知り合った
グービンの仕事を
手伝うようになる。
グービンは町の有力者・
ビルキン家の井戸掃除を
請け負っていた。
グービンはいつも
世の中に不満を抱え、
町の人々の嘘や欺瞞に対して
批判を繰り返していた…。

ロシアの作家の作品には、
貧しい人々とそれらを抑圧している
社会や政治の有り様を告発するような、
重く陰鬱な作品が多いのですが、
本作品にもその傾向が見られます。

グービンは、かつては商人だった父親の
遺産を持っていたのですが、
ビルキン家の女主人と
関係を持ったことにより、
すべてを巻き上げられてしまいました。
それでも女主人に隷属するかのように、
ビルキン家の
下請け仕事をしているのです。

一方、ビルキン家の女主人は
巻き上げた財産で、
この町の覇権を握ります。
しかし、その生活は決して
上流社会の気品あるものではなく、
長男の嫁・ナデージダの
不倫や淫蕩の噂が絶えないのです。

あたかもグービンは
底辺の人々を象徴する存在であり、
ビルキン家は腐敗した権力者もしくは
施政者を表現しているように見えます。
そして正義を口にする割には
自らは一切動こうとせず、ひたすら
他者批判に終始するグービンは、
権力に対する市井の人々の無力さが
描出されているようで、
虚しい気持ちにさせられます。

しかし作者・ゴーリキーは
そうした虚無感を
描こうとしたのではなさそうです。
作者が用意した仕掛けは
偶発的に起きた森林火災です。
火災が町に迫り、
人々が右往左往する場面で、
物語は幕を閉じます。

火災がビルキン家を焼き尽くす予感を
読み手に抱かせて
物語を強制終了させた作者の意図は
どこにあるのか?
腐敗した社会の立て直しは
人の力ではなしえることはできず、
革命もしくは天変地異で
すべてを崩壊させなければ
成立しないということなのでしょうか。
本作品の発表は1912年。
二月革命で帝政が崩壊する
5年前のことなのです。

本作品はゴーリキーの自伝的短篇です。
作品の舞台となっている
オカ湖畔の町・ムーロムに滞在した際の
印象に基づいて書かれました。
それでいて将来起こるべき革命の嵐を
予見していたかのような
鋭い視点が潜んでいる
ゴーリキーの逸品です。

(2019.11.2)

Aleksey KutsarによるPixabayからの画像

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