「二十六人とひとり」(ゴーリキー)

貧困が心の荒廃を招くのです

「二十六人とひとり」
(ゴーリキー/木村彰一訳)
(「百年文庫011 穴」)ポプラ社

地下室で巻きパンを焼く
「囚人」と呼ばれる
26人の男たちにとって、
パンを貰いに訪れる少女ターニャは
神聖な存在だった。
ある日、
隣の白パン工房の美男子職人と
口論となった「囚人」たちは、
ターニャを落としてみろと
せまるが…。

「囚人」といっても
服役しているわけではありません。
最底辺の労働者の集まりであり、
周囲からそう呼ばれて
蔑まれているのです。

少女ターニャはその26人から、
汚れのない「神聖なもの」として
愛されています。
彼女はどんな少女なのか?

決して優しいわけではありません。
仲間のひとりが1枚しかないシャツを
つくろってくれないかと頼むと
「そんなことを私にやれって言うの?」と
すげなく断るくらいですから。
彼女が巻きパン工房に来て
笑顔を見せるのは
ただでパンをもらえるからなのです。

美しいわけでもなさそうです。
ターニャを口説き落とせるなら
落としてみろと言われた美男子職人は
「あんなのをおれが?」と
答えていることから察するに、
十人並みの少女に
過ぎなかったのでしょう。

ではなぜそのような少女を
26人は「神聖なもの」と
感じていたのでしょうか。
それは地下工房を訪れる女性は
彼女「ひとり」しか
いなかったからなのです。
「おれたちは、彼女に
 焼きたての巻きパンをやるのを
 自分たちの義務と心得ていた。
 それはおれたちにとって、
 偶像に毎日犠牲を
 捧げるようなものであった。」

まさに偶像崇拝そのものです。

本作品には、
この26人の「囚人」たちが
労働の重圧に押しつぶされ、
感情や思考が希薄になる一方で、
人間として
何か愛するものを得たいという欲求は
止めることができずにいるという
精神の過程が、克明に描かれています。

隣の工房の美男子職人は
こともなげに約束の2週間で
ターニャを口説き落とし、
「囚人」たちの前で披露します。
愛すべき偶像が崩れ去ったとき、
「囚人」たちは見苦しい行為に及びます。

魂が荒んでいるから
貧しい生活を余儀なくされているのでは
ないと思います。
貧困が心の荒廃を招くのです。
作者・ゴーリキーはこうした
落魄れ果てた人びとを描くことにより、
ロシアの社会の在り方を
告発したかったのでしょう。

ゴーリキイ初期の傑作短篇、お薦めです。

※光文社古典新訳文庫からも
 「二十六人の男と一人の女」の邦題で
 出版されています。
 こちらは中村唯史訳です。

(2019.11.2)

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