「初看板」(正岡容)

私たちの生き方すべてに当てはまる真理

「初看板」(正岡容)
(「圓太郎馬車」)河出文庫

ひょんなことから
噺家となってしまった「私」。
ちやほやされたのを真に受け、
まともに勉強しなかった
ツケが回って、「私」の噺は
誰からも受けなくなる。
しまいには世の中を
恨んでも見た「私」だったが、
胸に手を当てて考えてみると…。

正岡容(読み方はいるる)は、
落語・寄席研究家であるとともに、
「寄席小説」という特異な分野を開拓した
作家でもあります。
本書の副題は「正岡容寄席小説集」と
なっているくらいです。
収録されている4篇全てが
寄席小説です。

さて本作品、短篇ですが
筋書きは三つに分かれており、
「上」はおだてられて
噺家となった「私」が浮かれていた時期、
「中」は売れずに
落ちぶれていった日々、
そして「下」は立ち直るまでの
「私」の心の有り様が描かれています。

不振に陥った「私」は、
自己分析を試みます。
「陰気だったんだ、私の芸は。
 もともと、口調がムズムズと
 重いそのうえに、
 暮らし向きのいけないことも
 それへ輪をかけて私の高座を
 暗いジメジメしたものにし、
 ずいぶん理に積んでいて
 陰気至極だったんだ。」

「私」は自分の特色を
「音曲が得意」
「口が重い」
「そそっかしい」の
三つであると分析します。
そしてそれぞれを最大限に活かす方法を
考えるのです。
原版にない小唄端唄を
登場人物に歌わせる、
登場人物の一人を
間抜けな男に設定し直して
もさもさした口調で語らせる、
さらにもう一人を
そそっかしい性格に設えて
自分の地のそそっかしさを
そのまま出す。
「長所短所をうまく活かして、
 ついには短所までも
 長所に変えてしまうべきだろう。」

そしてついに「私」は悟るのです。
「しょせんが「芸」とは
 自分で自分のなかから
 自分の宝を
 発見していくよりないのだ。」

自己を冷静に見つめ直し、
長所短所を洗い出す。
短所を無理に改めようとするのではなく、
長所とともに
短所をも活かす方法を探る。
それを自分の宝としてよりよく伸ばす。
落語家だけに
通ずる道理ではありません。
私たちの仕事、いや生き方すべてに
当てはまる真理です。

さて、本作品の「私」とは、
実は三代目柳家小さんなのです。
小さんが己の半生を振り返り、
一人語りをしている体裁で書かれた
短篇です。
じり貧の中で自分の芸を
見つけていった若き日の小さんの姿が、
秋晴れの空のように爽やかな一篇です。
読書の秋に、
こんな一冊はいかがでしょうか。

(2019.11.4)

ミンミンさんによる写真ACからの写真

【青空文庫】
「初看板」(正岡容)

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