「銀二郎の片腕」(里見弴)

重厚でシリアスなサスペンスドラマ、いや…

「銀二郎の片腕」(里見弴)
(「善心悪心」)岩波文庫

雪国の牧場に
銀二郎という牧夫がいた。
彼はある日、
牧場の女主人が舅に
手を挙げる場面を目撃し、
止めに入る。
彼は舅に対する行為を
責める気はなかったが、
女主人の嘘のため
牧場にいる意味を失う。
彼は女主人を敬愛していた…。

前回、里見弴「秋日和」を取り上げ、
「なにかホームドラマにでも
なりそうな筋書き」と紹介しました。

本作品は
ホームドラマにはなり得ません。
何しろ最後の場面で
主人公の銀二郎が自らの左腕を
斧でたたき切るのですから。

なぜそのような
衝撃的な事件が生じたのか?
銀二郎の特異な性格と
女主人への感情がそうさせました。

銀二郎は一言で言えば
潔癖症だったのです。
それも形の上だけでなく、
「高慢ぶるとか、
故もなく人に意地悪するとか、
嘘をつくとかいふ、
心の上の不潔癖」に対しても
強い嫌悪を現すのです。
だから女主人が舅を打擲した言い訳や、
舅を遠ざけるためにつくった隠居所を、
さも舅のために苦労して造成したような
巧言に対して
我慢ができなかったのです。

しかも、銀二郎はこの女主人に
愛念の情を感じていたのです。
「女主人を生氣と敏捷と逞しさとに
 美しく飾つた夏が、
 いつか銀二郎の心を、
 前年よりも深い愛に誘ひ込んだ。
 時には惱ましい想ひにまで
 導いて行つた」

それでいて、銀二郎は
善悪という概念に疎かったのでしょう
(作品中に言葉としては
書かれていませんが)。
「銀二郎は、必ずしも潔い行爲ばかりを
して來たわけではない。
必死の抵抗のある體に、暴虐な力を
加へたこともあつた」の一節に、
そうした彼の気性が表れています。

銀二郎もまた舅を
「汚いもの」として蔑んでいます。
彼は女主人が舅を蔑ろにしていたことを
憎んだのではないのです。
彼の強烈な個性の源である
「潔癖症」「女主人への愛情」
「善悪への頓着のなさ」は、
彼の行為を屈折した方向へと
爆発させました。

隠居所の落成祝いの宴の席で、
銀二郎は啖呵を切ります。
「こいつは大嘘つきだ!
 我慢のならねえ、
 質の悪い嘘をつく女だ!
 殺しても足りねえほど
 穢らはしい女郎だ!」

そして自らの左腕を
彼女に投げつけるのです。

ホームドラマなどではなく、
重厚でシリアスなサスペンスドラマ、
いや、悪くすればスプラッターにでも
なりそうな筋書きです。
「秋日和」が
のどかな秋を映し出しているとすれば、
この「銀二郎の片腕」は、
心を刺し貫く凍てついた冬を
投影したかのようです。

※本作品も映画化と
 テレビドラマ化されていました。
 映画は1953年、藤田進主演、
 テレビドラマは1968年、
 山崎努主演です。
 山崎努の銀二郎は、さぞかし
 役にはまっていたことでしょう。

〔本書収録作品一覧〕
善心悪心
銀二郎の片腕
父親
椿

(2019.11.11)

Alain AudetによるPixabayからの画像

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