「谷中村滅亡史」(荒畑寒村)②

これは明治の時代だけの事情なのか

「谷中村滅亡史」(荒畑寒村)
 岩波文庫

前回取り上げた本書ですが、
読み終わって感じることは、
「これは明治の時代だけの
事情なのか」という疑いであり、
そのことが頭から離れません。

前回は紙面の都合で
書きませんでしたが、
足尾事件の際、当時の科学者が
「耕地に被害あるは事実なれども、
被害の原因確実ならず」と
国会に報告しています。
「因果関係は科学的に
証明することはできない」。
こうした文言は
これまでも幾度となく聞きました。
科学者(おそらくは政府や企業の
お抱え学者と考えられるが)によって
対応の遅れがもたらされることは、
私たちの国では
何度も繰り返されているのです。

福島第一原発事故後の
放射線の問題についても
同様だと思います。
科学者は「微量の放射線の
人体への影響は科学的には
立証されていない」と言います。
だから「無視してかまわない」のか、
「招来の影響を考えて
最大限のケアをする」のかでは、
天と地ほどのちがいがあるはずです。

行政の歩みの遅さについても、
水俣病をはじめとする
公害が原因の疾病のみならず、
ハンセン氏病やHIV感染など、
枚挙に暇がありません。
そしてその度ごとに
行政が国民を向いているのか、
企業を向いているのか、
問題になっています。

利根川の氾濫の原因は
その上流地域の
森林の乱伐によるものであり、
谷中村を貯水池にしても
解決しないことが明らかなのです。
にもかかわらず
土地の強制収用を執行したのは
問題のすり替えであり、
行政と企業の癒着ぶりを
端的に示すものです。
そしてそれは長良川河口堰問題や
諫早湾干拓問題などにも見られます。

土地強制収用法の適用については
沖縄の問題があります。
大義名分を振りかざして
弱いところから詐取する方法は、
現代もまったく変わっていないのでは
ないかと思うのです。

明治40年に書かれた本書は
「今から110年前のできごとに
過ぎない」と冷静にいうことの
できないのが実状です。
この国の政治のスタンスは、
110年前と本質的には
何ら変わっていないのではないかと
不安になるのです。

「後世に残すべき貴重な一冊」と
昨日記したのは、
現代を見つめる鏡として本書の役割が
ますます大きくなってきていると
感じたからにほかなりません。

(2019.11.28)

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