「放蕩息子の帰宅」(ジッド)①

弱者こそ救われるべき

「放蕩息子の帰宅」(ジッド/若林真訳)
(「百年文庫078 贖」)ポプラ社

ある富豪に息子がいた。
弟は父に
財産の生前贈与を懇願し、
それを持って家出をする。
放蕩の限りをつくして
財産を失った弟は、数年後、
みすぼらしい格好のまま
家族のもとへと帰ってきた。
父は弟の帰宅を盛大に祝うが、
兄は…。

レンブラントの絵画でも有名な
「放蕩息子の帰宅」。
ルカ福音書15章を
題材に編まれたジッドの本作品、
神の愛が一つのテーマとなっています。

さて、そうなると
兄は面白くありません。
大きな疑問を持ちます。
「悔悟したとはいえ罪人は罪人だ、
 そういう奴に、なぜこの自分、
 かつて一度も
 罪を犯したことのない
 この自分以上の
 栄誉を与えるのだろうか?」

もっともです。
放蕩息子の帰宅は祝福される一方で、
孝行息子の兄の努力は
祝福されないのですから。

本作品では省略されていますが、
ルカ福音書31-32節には、
兄に対する父の苦言が
次のように描かれています。
「子よ、お前はいつも
 わたしと一緒にいる。
 わたしのものは全部お前のものだ。
 だが、お前のあの弟は
 死んでいたのに生き返った。
 いなくなっていたのに
 見つかったのだ。
 祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは
 当たり前ではないか。」

欲望のままに彷徨った結果、
すべてを失った弟。
これは神への反抗を表しています。
弟は、いわば「罪人」です。
しかし、我に返った彼は、
己の過ちに気付き、ありのままの姿で
父に許しを請うのです。これは
懺悔と罪の告白を意味しています。

罪人の行く末は死。
よって罪人が悔い改めることは
死からの生還に等しいのです。
それゆえに
祝福されるということなのでしょう。

兄の言い分は、
個人の権利が尊重される現代となっては
至極当然のような感があります。
しかし、兄の姿は、
律法を厳格に守ろうとするあまり、
守れない人々に対して
蔑みの態度をとっていた
ファリサイ派に属する人々を
暗喩しているのです。

弱者こそ救われるべきであるという
イエスの教えに対する
ジッドの深い共感が表れている本作品。
でも、それは5章あるうちの
第1章「放蕩息子」の部分だけです。
本作品はさらに
ジッドの全くの創作である
「父の叱責」「兄の叱責」
「母」「弟との対話」と続きます。

(2019.11.29)

blenderfanによるPixabayからの画像

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