「雞」(中島敦)

老人の狡猾な面と善良な面との整合性

「雞」(中島敦)
(「中島敦全集2」)ちくま文庫

民俗調査のために
パラオを訪れている「私」は、
現地の老人マルクープを使い、
資料の収集にあたっている。
老人の仕事はやがて
いい加減なものとなり、
「私」は老人を叱り付ける。
老人が帰った後、机上にあった
懐中時計がなくなる…。

「私」の仕事は、民間俗信の
神像や神祠などの模型の蒐集。
そのため現地人で故実にも通じ
手先も器用である
このマルクープ老人に
協力を依頼したのです。

しかし老人は、
はじめ50銭で引き受けていた仕事を、
やがて60銭、70銭とつり上げ、
しまいには1円まで引き上げたのです。
それだけではなく
作品にも手抜きあり、
勝手な装飾の付加あり、
寸法の出鱈目あり、
集めてくる資料も偽物ばかり。
冷静に調べてみると、半数以上が
贋物であることがわかるのです。

怒り心頭に発した「私」は、
「もう二度と頼まない」と
老人を叱り付けるのですが、
前述のごとく
懐中時計を失敬されてしまうのです。

で、この話は、その後が肝心な部分です。
その2年後、再びパラオを訪れた「私」は
このマルクープ老人と再会します。
懐中時計の一件があったのですが、
老人のあまりにも衰弱した姿に驚き、
話を聞いてあげるのです。
老人は難病にかかり、
現地の病院ではなく
ドイツ人医師に見てもらいたいので
その口利きを頼むというもの。
瀕死の老人の姿を見て
断れなかった「私」は
その願いを叶えます。

そして3ヵ月後、老人の使いだといって
若者が一羽の牝雞を
「私」のもとへ持ってきます。
次の日も、また次の日も、別の若者が、
つごう3羽の雞を持ってくるのです。
聞けばマルクープ老人は
病が癒えず亡くなったとのこと。

「私」は老人の狡猾な面と
善良な面との整合性が
理解できないのです。
「あの時計の事件によって
 私の心象に残された彼の奸悪さと、
 今の此の雞の贈り物とを
 どう調和させて
 考えればいいのだろう」

筋書き自体に特段の面白さが
あるわけではありません。
実際に南方パラオに
教科書編纂係として赴任した中島の、
現地南洋人に対する見方
(おそらくは理解不能という)が
ストレートに現れた作品なのでしょう。

今日はほとんど
あらすじ紹介になってしまいましたが、
このような素材自体、当時の文壇では
珍しかったのではないでしょうか。
33歳で病没した中島に、
もう少しの寿命が与えられていたら、
どのような傑作群が
生まれていただろうかと、
ふと考えてしまいます。

(2019.12.8)

【青空文庫】
「雞」(中島敦)

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