「殺人出産」(村田紗耶香)

人間の生と性と死の価値観を根底から揺さぶられる

「殺人出産」(村田紗耶香)講談社文庫

「殺人出産」講談社文庫

「私」とルームシェアを
していた姉は今はいない。
出産のために
病院に入っているのだ。
姉は昔から殺人衝動を抱えて
生きてきた。だから
殺すために今は産んでいる。
10人産めば1人殺せる権利を得る
「殺人出産システム」を利用して…。

恐るべき小説です。
読み終えた今、
心の震えが止まりません。
人間の生と性と死の価値観を、
根底から揺さぶられたような
感覚がありました。

人口減少を食い止めるため、
10人産めば一人を殺せる
「産み人」の権利をつくった社会が
描かれています。
そこは死刑が廃止、
かわりに強制的に産み続ける刑
「産刑」が制度化、
男性も人工子宮によって出産可能、
女性は初潮が始まった時点で
子宮に避妊処置を施され、
産む場合にはそれを解除される等々、
常識が覆された世界なのです。

一瞬、安部公房の世界に
似たものを感じました。
しかし安部公房の小説では、
倒錯した世界で悩み苦しむ主人公が
描かれているのですが、
村田紗耶香の小説の主人公は
その世界にしっかりとなじんでいます。
それが逆に
読み手の心に不安を抱かせるのです。

作者は現実世界の人間の
考え方をする人物を
一人だけ用意しています。
その世界を「間違い」と信じている
活動家・早紀子です。
彼女は「私」や姉に、
正しい世界の在り方を
説こうとしますが、
逆に論破されてしまうのです。
「過去の世界を信じきっているか、
 今、眼の前に広がっている世界を
 信じきっているか、というだけで、
 世界を疑わずに
 思考停止しているという意味では
 変わらない」。
「世界が正しくなって、
 私の殺意は世界に命を生み出す
 養分になった。
 そのことを本当に
 幸福に思っています」。
「私にとっては優しい世界になった。
 誰かにとっては
 残酷な世界になった。
 それだけです」

早紀子が否定されていくのにつれて、
読み手の常識が
ことごとく覆されていく
しくみになっているのです。

姉は10人目を出産し、
得た殺人の権利を
会ったばかりの早紀子に向けます。
早紀子は無残にも殺され、
「私」は「産み人」になる決意をし、
読み手の価値観は
完全に崩壊させられます。

書きたいことはまだまだあるのですが、
思考の整理ができない状態です。
読み手の心と常識を強く揺さぶり、
価値観の再構築を促す。
これこそ現代の純文学です。
村田紗耶香、恐るべしです。

なお、併録されている3篇も、
性と性と死の価値観を
激しく揺さぶる作品であり、
この4篇は一つのまとまりをなす
作品群となっているのです。

「私」は出かける直前、
母から念を押される。
「カップルで
デートするんでしょうね」と。
「当たり前じゃない」と
「私」は答え、圭太と誠のいる
待ち合わせ場所へと急ぐ。
大人たちはなぜ
トリプルの恋を認めないのか
「私」にはわからない…。
「トリプル」

子どもをつくるために
病院へ行こうという夫の提案に
うなずく「私」。
二人は家庭に
セックスを持ち込まない
「清潔な夫婦」だったが、
やはり子どもはほしかった。
二人が訪れた病院では、
クリーン・ブリード(清潔な繁殖)を
勧められる…。
「清潔な結婚」

医療が発達した現代では、
「死」がなくなっていた。
老衰もなければ
事故死や他殺死も
蘇生できるようになっていた。
業者に連絡し、家財道具を
すべて処分した「私」は、
役場で死亡許可証をもらい、
薬局で死ぬための薬剤を
購入する…。
「余命」

(2020.2.18)

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

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