「見えざる蒐集」(ツヴァイク)

「優しい嘘」が紡ぎ上げる哀しくも心の温まる物語

「見えざる蒐集」
(ツヴァイク/川崎芳隆訳)
(「ある心の破滅」)角川文庫

「ある心の破滅」角川文庫

古美術商の「わたし」が、
買い取りのために訪れた老人は、
盲目であった。
老人は「わたし」を歓迎し、
銅版画のコレクションを
披露したいと申し出るが、
家族のそぶりは妙であった。
老人の娘は「わたし」に
驚くべき事実を告げる…。

「ドイツインフレーション時代の
一挿話」と付された副題が
時代背景を物語っています。
第一次世界大戦敗戦後のドイツには
ハイパーインフレが急襲し、
人々の生活を苦しめました。
ある資料によると、
「卸売物価指数は、
1913年を1とした場合、
1922年で450、
1923年1月には2800、
同年末には1兆2000億と
天文学的数字に高騰した」。

価値のある美術品を高値で売っても、
その金額は日に日に目減りし、
数日後には
はした金に変わってしまうのです。
古美術商の「わたし」にとっては、
商品が次々に売れても、
貨幣価値が下がり続けるので
商売にならないのです。
一方、悪質な古美術商は、
市井の人々から次々と買い取り、
支払いを数日後に行う(それによって
実質的に超安値となる)という方法で
利益をむさぼっていたようです。
そうした時代背景を知る必要のある
作品でした。

老人にとって銅版画蒐集だけが
生きがいであること、
一家は生活に困窮し、
老人に内緒でコレクションを売却し、
現在はそのほとんどを失っていること。
老人は盲いたため、
物価のことも経済のことも、
そしてコレクションを
売り払ってしまったことも、
何も知らないでいること。
それらを老人の娘から
告げられた「わたし」は、
その幻想を壊さぬよう、
老人の求めに応じるのです。

画のすでになくなっている
額縁を手に、一つ一つ細部にわたって
その画の価値について解説する老人に、
「わたし」はうなずき、
そしてそれらをあたかも
目の当たりにしているかのように
称揚していくのです。

老人の顔は次第に喜びに満ち溢れ、
そして「わたし」の心もまた
充足されていきます。
「彼の手はあたかも
 生物を愛撫するように、
 もうとっくの昔に絵のなくなった
 帙の上を優しく撫で回すのでした。
 それにはいちめんわたしの心を
 強くうつものがありました。
 なぜならば、
 数年にわたる戦争の間、
 こんなにもほのぼのとした
 幸福の表情が、
 これほど純粋に、
 これほど完全に現れた
 ドイツ人顔を、
 見たことがなかったからです。」

「優しい嘘」が紡ぎ上げる、
哀しくも心の温まる、
ツヴァイクの隠れた逸品です。
ご一読あれ。

※本書はすでに絶版中であり、
 古書でもなかなか入手が
 難しくなっています。
 しかし「見えざるコレクション」
 「見えないコレクション」等の邦題で
 いくつかの書籍に収録され、
 流通しているようです。

〔本作品収録書籍〕
以下の本に、
「見えないコレクション」という邦題で
収録されています。

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(2020.3.8)

marcelkesslerによるPixabayからの画像

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