「ほれぐすり」(スタンダール)

「ほれぐすり」に心の自由を奪われた二人

「ほれぐすり」
(スタンダール/桑原武夫訳)
(「百年文庫071 娘」)ポプラ社

有り金をすってしまった
青年将校・リエヴァンは、
とある家の戸口から逃げ出てきた
若い女性・レオノールを助け、
自分の下宿にかくまう。
リエヴァンは彼女の
逃避行の援助を申し出るが、
彼女の口から語られるいきさつに
彼は驚き…。

「若い女性」といっても
「年は十八からはたちのあいだ」、
しかも「かつて見たこともない
絶世の美人」ですから、
「超美少女」なのでしょう。
それが真夜中の2時の通りに
肌着一枚で転がり込んできたのですから
尋常ではありません。

若い男が「超美少女」を
助け上げたのですから、そこから
ドラマが展開すべきなのですが、
朝までの間に彼女の衣類や帽子、
そして彼女のための新しい部屋を
準備するための短い奔走のほかは、
翌朝の二人のやりとり
(リエヴァンが援助を申し出る件と
レオノールが「事情」を語る場面)が
続くだけで、物語は幕を閉じます。
本作品の読みどころは、
そのやりとりの中での
二人の感情の揺れ動きと
すれ違いなのです。
この間の文章からは、
彼の心が次第に彼女へ
傾斜していく様子がうかがえます。

彼女の部屋を借り受けるために
名義を「リエヴァン夫人」名義
(そうしなければ借りられなかった)に
したことにふれ、
「そういう名義を使うか、
 さもないと旅券を
 見せなきゃならないんですが、
 われわれには、
 そんなものないじゃありませんか。
 このわれわれという言葉さえ
 彼には嬉しかった。」

彼女との連帯感だけで
嬉しい気持ちになっているのです。

彼女の抱えた事情を
知ったリエヴァンは、
彼女にさらにこう告げます。
「あなたを逃がす手はずを
 ととのえなきゃなりませんから。」

彼は全てを捨てる覚悟を
固めているのです。

そしてさらに続く彼女の告白は、
「彼の胸にもえる火を
 いっそうあおり立てるのだった。」

彼女の存在は、彼の心の全てを
占めるようになってしまうのです。

では、レオノーレの気持ちは
リエヴァンに傾くのか?
答えはnonです。
彼女の気持ちは自分を騙した男から
わずかばかりも
離れることがないのです。
「あのひとはあたしに
 ほれぐすりを
 飲ませたのにちがいない、
 どうしてもあのひとが
 憎めないのだもの」

「ほれぐすり」に
心の自由を奪われたレオノーレ。
同様にリエヴァンもまた
「ほれぐすり」の作用で、彼女から
離れられなくなっていたのです。

結末の一節が哀しすぎます。
「そのご、彼の姿を
 ふたたび見かけた人はない。
 レオノールは、ユルシュール派の
 修道院で尼になった。」

(2020.5.18)

HeungSoonによるPixabayからの画像

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA