「焦土」「蘇水峡」(島村利正)

「作家」と「製糸業経営者」の二面を持つ島村

「焦土」「蘇水峡」(島村利正)
(「妙高の秋」)中公文庫

暗い時代相の中で、
世田谷新町に志賀さんが
住まいしていることは、
「私」にとって
大きな心の支えだった。
しかし時局は厳しさを増し、
東京もいたる所が焦土と化す。
いよいよ危険が迫り、
「私」は志賀さんに疎開を勧め、
同行する…。「焦土」

釣り好きな「私」は
木曽川で三回ほど
釣りを楽しんだことがあった。
しかしそれ以前にも「私」は
仕事の関係で木曽川上流の沿岸に
よく出かけていた。
そこに何百軒という
繊維工場があったからだ。
「私」はその頃から
小説を書いていた…。「蘇水峡」

島村利正の私小説二篇です。
島村利正といってもご存じない方が
多いのではないでしょうか。
海産物商の長男として生まれた島村は、
家業を継ぐ道を捨て、
家出して古美術写真出版社に勤務し、
その傍らで執筆活動を開始します。
その後、戦中から撚糸工業会社に勤務、
1955年には日本撚糸株式会社を設立し、
その経営者となっていたのです。
会社経営と文筆業の二足草鞋
(1962年の会社倒産まで)を
履いていたという
珍しい経歴の作家なのです
(島村の経歴については
「妙高の秋」に詳しく記されています)。
ここに取り上げた二篇には、
島村の「作家」としての一面と、
「製糸業経営者」としての一面の、
それぞれが表れています。

「焦土」では、戦争末期の東京で、
「私」(=島村)の近所に住んでいた
「志賀さん」(=志賀直哉)の疎開に
同行するいきさつが描かれています。
ここには志賀直哉だけでなく、
瀧井孝作、里見弴泉鏡花等の
名前が登場します。
文筆家・島村利正の戦中の
心境が綴られているのです。

「暗い時代相の中で、
 世田谷新町に志賀さんが
 おられることは、
 こころの大きな救いであった。」

その心の支えであった志賀が
東京を離れることになり、
空襲の激しさの増す東京での
「私」の孤独感が
浮き彫りにされていきます。

「蘇水峡」では、会社員としての
島村の思い出が記されています。
戦前の昭和14年頃、出張で訪問した
四日市の河口沿いの観光、
そして木曽川上流の八百津での
蘇水峡見学が語られます。

「焦土」「蘇水峡」どちらも
筋書きといったものはなく、
創作的要素が
ほとんど感じられないため、
「私小説」というよりは
ほぼ「随筆」に近いものになっています。
しかしながら
端正な筆致で紡ぎ出された文章は、
そこに現れる自然の景色や
人と人とのつながりを美しく彩り、
読み手の心に再現させてくれます。
素朴でありながらも
味わい深い両作品です。
大人のあなたにお薦めです。

※お薦めしてはみたものの、
 現在絶版中です。
 島村の作品は、全4巻からなる
 「島村利正全集」以外、
 2020年6月現在、
 流通していません。

(2020.6.8)

Andreas RiedelmeierによるPixabayからの画像

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