「私は「蟻の兵隊」だった」(奥村和一・酒井誠)

あの戦争で一体何を守りたかったか

「私は「蟻の兵隊」だった」
(奥村和一・酒井誠)
 岩波ジュニア新書

まだまだ私は戦争のことを
よく分かっていませんでした。
終戦後、中国大陸で2600人もの兵士が
軍の命令で否応なく
戦い続けていたことを。
それを軍も国も知らぬふりを
し続けていたことを。
そのため彼らには
恩給も支給されなかったことを。
裁判に訴えたものの、
無視され続けていることを。

著者奥村氏を含む、
中国山西省で終戦を迎えた
2600人の将兵は、
武装解除せずに残留するよう
上官から命令されます。
彼らは国民党軍の部隊として、
戦後4年間共産党軍と戦い、
550人が戦死、生き残った者も
700人以上が捕虜となりました。
ようやく引揚げが決定したのは、
日本が高度経済成長に突入しようとする
昭和30年頃でした。
彼らは「志願による残留」とみなされ、
国は補償を行わない決定をします。
国にその事実を認めさせようと、
著者は立ち上がるのです。
そして、厚生省の資料から
その証拠を見つけ出します。
裁判は最高裁まで進みますが、
しかし、上告は棄却されました。

国は絶対認めるわけには
いかないのでしょう。
ポツダム宣言受諾以後に
軍が活動していたことを
公式に認めることになれば、
さまざまな問題が生じるからです。
でも、…だからといって、
2600人もの人間の生活や尊厳や命が
踏みにじられていいはずがありません。

軍隊は、そして日本政府は、
あの戦争で一体何を守りたかったか、
ここに端的に表れていると思うのです。
軍も政府も国体護持が最終目的であり、
国民の生活も幸福も生命も
全く守ろうとはしていなかったのです。
施政者や司令官の
体面や面子が大切なのであって、
国民の生命や財産は
関係なかったのです。
未だに政府が
この問題を無視し続けるのは、
こうした体質が戦後70年以上経っても
全く変質せずに残っている
何よりの証拠です。

現代日本の首相もまた
「日本を守る」ために、
憲法を改正しようとしたり、
危険な法案を
無理矢理成立させようとしたり、
ミサイル防衛政策の
検討を始めたりしています。
今度は何を守るためですか?
本当に国民一人一人を
守ろうと考えた末のものですか?
それは別の何かを
守るためではないのですか?
私たちは問い続け、
声を上げ続けなければ
いけないのではないでしょうか。

この中国残留兵問題は、
多くの日本人に知られることのないまま
闇に葬られようとしています。
私たちはもっともっと
戦争の真実を知る必要があります。

(2020.7.6)

Hin und wieder gibts mal was.によるPixabayからの画像

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