「風呂桶」(徳田秋声)

読み取るべきは「人生の悲哀」

「風呂桶」(徳田秋声)
(「私小説名作選」)集英社文庫

ようやくのことで
住居を拡張できた津島は、
もう一軒の家の台所に
湯殿を造ろうと考える。
妻・さく子が、
請け負った大工と
交渉しているが、
その声の大きいことに
彼は腹を立てる。
折からの不愉快が積み重なり、
彼は妻を打擲する…。

女性の地位や権利が
認められている現代からすると、
まるでDV男の実状を
描いた作品のようにも感じられます。
「津島は猛烈に打つた。
 彼女がいつも頭脳を痛がるのは、
 自分の拳のためだと意識しながら、
 打たずには
 いられなかつた。」
のですから、
DV以外の何ものでもありません。

しかしながら
本作品の肝はそこではありません。
重要なのは冒頭と終末です。
「津島はこの頃何を見ても、
 長くもない自分の生命を測る
 尺度のような気がして
 ならないのであった。」
から始まる
本作品、主人公・津島の黄昏れた心情を
理解しなければならない作品なのです。

どこにも記されてはいないのですが、
彼の年齢はおそらく
五十代半ばと想像されます。
「十人家族」という表現がありながら、
自分の父母がいる様子はありません。
子どもが八人いるのでしょう。
であれば、
五十は超えていると推察できます。
また、来客との何気ない話に対して
「時間の尊い」、「損をしている」ように
感じていることからも、
人生の残り時間が
決して長くはないことを感じさせます。

それだけの年齢を重ねながら、
彼はそれまで手狭な家しか
持つことができなかったのです。
今またもう一軒の家を持ち、
ようやく念願の
内風呂をしつらえるとはいえ、
そこに晴れやかな気持ちなどなく、
人生の敗残者たる気持ちで
いっぱいだったのでしょう。
妻への仕打ちの後、彼はその風呂桶を
「鍬で叩きこわしていた」

その半年後、風呂桶を買い直すのですが、
それでも鬱屈した気分は
改善されません。
「広々とした湯殿へ
 入りつけていたので、
 そうやって風呂桶のなかへ
 入っているのが窮屈であった。」

そして結びが
さらなる悲哀を感じさせます。
「それがだんだん自分の棺桶のような
 気がしてくるのであった。」

「私小説名作選」というアンソロジーに
収められている本作品、
主人公には「津島」という名前が
与えられていますが、
モデルは作者・徳田自身でしょう。
大正13年に発表されているのですが、
徳田はこのとき53歳。
津島の感じている人生の憂愁は、
とりもなおさず
徳田自身の感じたそれと同じはずです。

(2020.9.7)

How’s Thatのしゅんさんによる写真ACからの写真

【青空文庫】
「風呂桶」(徳田秋声)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA