「魚玄機」(森鷗外)

では、鷗外は女性を差別していたのか?

「魚玄機」(森鷗外)
(「森鷗外全集5」)ちくま文庫

器量のよい少年・陳と
逢瀬を重ねていた
美人女性詩人・魚玄機は、
陳が自分よりも醜く
何の才能もない使用人・緑翹と
思いを通わせているのでは
ないかと疑い始める。
猜疑心は怒りへと変わり、
ある日、彼女は
緑翹を絞め殺してしまう…。

十五歳ですでに詩の才能を開花させ、
その美貌とともに
あまねく世間に認められていた
実在の女性詩人・魚玄機。
彼女は二十六歳のとき、
使用人・緑翹を殺害した廉で
刑死しています。
鷗外が彼女を取り上げて
自身の作品としたのですが、
単なる中国の
歴史小説としてではないようです。
彼女の女性としての描かれ方に
首をかしげざるを得ない点が
あるのです。

一つは、素封家・李億の妾になることを
承諾したにもかかわらず、
肉体関係を激しく拒んだことです。
「玄機が女子の形骸を以て、
 男子の心情を有していた」
という
記述があります。
鷗外は彼女を、現代でいう
トランスジェンダーとして
設定しているのです。

もう一つは(その延長線上に
あるのですが)、彼女が
中気真術なる修行によって
「性の喜び」を知るようになるものの、
最初に性の対象となったのは、
自分よりも若くて小柄な
女道士仲間・采蘋である点です。
明確な記述こそありませんが、
「これ(采蘋のこと)
 寝食を同じゅうし、
 これに心胸を披瀝した」
「女道士仲間では、
 こう云う風に親しくするのを
 対食
(夫婦という意味)と名づけて、
 傍から揶揄する。」

書かれてあります。
鷗外は彼女を次に
同性愛者と位置づけたのです。
そしてその後、彼女は年下の男声・陳と
情交を重ねるようになったのです。

資料を十分に集められず
明確なことがいえないのですが、
李億は実在するのですが、
采蘋や陳は鷗外が創り上げた人物です。
また、中気真術なる修行も
架空の設定です。
だとすればトランスジェンダーや
同性愛者である設定もまた
鷗外の創作ということになるのです。

もともと男性の気質を持っていた
魚玄機は、それ故に
非凡な才能を発揮できた。
しかし女性性を獲得した結果、
身の破滅を招くことになった。
そのような主題が見えてくるのです。

では、鷗外は女性を差別していたのか?
いやいや、そうではありますまい。
鷗外がここで描きたかったのは、
あくまでも「性の制御の
難しさ」ではないでしょうか。
名作「ヰタ・セクスアリス」で
「性の制御の難しさ」の
男性版を著した鷗外は、
それを女性にも当てはめてみたのでは
ないかと推察します。

現代であれば「女性蔑視」ということで
やり玉に挙げられそうな作品ですが、
そのような
単純なものではないでしょう。
成立背景や作者の意図を
読み取らなければ理解できないことが
文学作品には多々あります。
それがまた読書の楽しみでもあります。

(2020.12.15)

Enrique MeseguerによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「魚玄機」(森鷗外)

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