「博物誌」(ルナール)

科学者の眼、子どもの心、詩人の筆、それがルナール

「博物誌」(ルナール/岸田国士訳)
 新潮文庫

朝早くとび起きて、
彼は出かける。
健康な香を
鼻いっぱいに吸いこむ。
猟具も家へ置いて行く。
彼はただしっかり
眼をあけていさえすればいい。
その眼が網の代りになり、
いろいろなものの影像が
ひとりでに引っかかって来る。
…。
「影像の猟人」

ルナール「にんじん」
小学生のときに読んだのですが、
本書「博物誌」はまだでした。
「博物誌」の名の通り、
身のまわりの自然、
特に動物に注目し、
見たまま感じたままの
風景を切り取って、
スクラップブックに貼り付けたような
作品集です。

「雌鶏」から「鼠」あたりまでは、
おそらくはルナールの家または周囲で
飼育していた動物や
身のまわりの動物について、
軽妙洒脱な小文で飾られています。

彼女は庭の真ん中を
気取って歩き回る。
道の上にまたも七面鳥たち。
毎日、天気がどうであろうと
彼女らは散歩に出かける。
彼女らは雨を恐れない。
また、日光も恐れない。
七面鳥は日傘も持たずに
出かけるなんていうことはない…。
「七面鳥」

今日こそ間違いなく
結婚式が挙げられるだろう。
実は昨日のはずだった。
彼は盛装をして待っていた。
花嫁が来さえすればよかった。
花嫁は来なかった。
意気揚々と、
インドの王子然たる足どりで、
彼はそのあたりを散歩する…。
「孔雀」

なぜか中盤、
小動物や昆虫のあたりから
超短文になります
(終末の野鳥の部分では
再び文章が長くなりますが)。

「こいつはまた
 精いっぱい伸びをして、
 長々と寝そべっている
 ―上出来の卵饂飩のように。」

(「蚯蚓(みみず)」)

「長すぎる。」
(「蛇」)

「いったい誰の腹から
 転がり出たのだ、この腹痛は?」

(「やまかがし」)

面白く読むことができました。
ところどころ無意識のうちに
うなずきながら読んでいました。
妙に納得してしまうのです。
それはルナールが
科学者のような観察眼で
自然を詳細に見つめ、
分析できているからなのでしょう。
そして、それを
子どものような純粋な心で
感じることができているからなのです。
さらに、感じたことを詩人のように
簡潔でウイットに富む文章に
凝縮できているからに
ちがいありません。

科学者の眼で見て、
子どもの心でとらえ、
詩人の筆で表す。
これがルナールの真骨頂です。
中学生、高校生に
お薦めしたい一冊です。

※岸田国士訳は出版されてから
 半世紀以上経過しているのですが、
 古びた印象はまったくありません。
 ただ、このウイットに富んだ原文を、
 現代の翻訳家たちは
 どう表現するのか、
 読んでみたい気がします。
 新訳が出ることを期待します。

(2021.1.4)

Manfred RichterによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「博物誌」(ルナール/岸田国士訳)

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