「日蓮聖人辻説法」(森鷗外)

問題となるのは「他国侵逼難」

「日蓮聖人辻説法」(森鷗外)
(「森鷗外全集5」)ちくま文庫

進士善春と妙は
愛し合っているが、
日蓮を敵視している
善春との仲を、
妙の父・比企能本は認めない。
善春は辻説法を行う日蓮に対し
禅問答を挑むが、
日蓮は蒙古襲来の
兆候のあることを述べ、
善春を説き伏せる。
居合わせた能本は…。

以前取り上げた「玉篋両浦嶼」同様、
森鷗外が書いた戯曲です。
「玉篋両浦嶼」は
浦島太郎の民話を本にしていますが、
こちらは日蓮聖人にまつわる
史実を生かした脚本となっています。
禅問答の末、
ついに善春が日蓮を帰依するに至り、
日蓮を熱く敬う能本は
善春と妙の仲を許すという
筋書きですが、
問題となるのは日蓮の説く
「他国侵逼(しんぴつ)難」でしょう。
この部分がどうやら
鷗外の創作らしいのです。
鷗外の創作の意図は何か?

本作品が書かれたのは明治三十七年。
「玉篋両浦嶼」同様、
日清日露両戦争の間にあって
富国強兵政策が進展していた時代です。
「玉篋両浦嶼」にも
その傾向が認められるように、
本作品もまた戦争プロパガンダの色彩を
帯びざるを得なかったと考えられます。
作家・森鷗外は同時に
軍人・森林太郎でもあったのですから。

もっとも、
宗教専門紙である「中外日報」には
この点に関する興味ある記事が
掲載されてありました。
以下、引用となります。
「この作品は戦意高揚を目的として
 書かれたものだとする説がある。
 しかしいくら軍人とはいえ、
 鷗外がそう軽々しく
 戦争の旗振り役を
 買って出たかどうかは疑わしい。
 芝居という、
 観客を相手にした
 ナマモノの中での、
 いわばちょいとした
 目配せのようなものでは
 なかったか。」

納得できる見解です。
このようなバランス感覚を
持ちたいものだと思いました。

そう考えると、むしろ当時の
日本の演劇界の動向にこそ、
読み解く鍵がありそうです。
本作品発表当時、
演劇は試行錯誤が続いていました。
明治維新によって日本は近代的な
統一国家へと歩み始めたのですが、
変革の波は、
政治・経済のみに止まらず、
文化にまで及び、
もちろん演劇にも波及しています。
新劇場の建設、脚本の改革、
俳優養成所の設立、
女形から女優への変化等々、
各流派がしのぎを削る中で
多種多様な演劇の形が誕生したのです。
他宗派を攻撃しつつも
仏の教えの意味と意義を追求する
日蓮の姿は、ある意味、
この時期の演劇界の在り方と
重なるのではないかと思われます。

やはり鷗外の意図は
戦意高揚よりも芸術振興に
あったのではないかと考えられます。
あまり知られていない鷗外の戯曲。
小説同様、奥が深く侮られません。

(2021.7.2)

jplenioによるPixabayからの画像

「中外日報」2014年1月11日付記事

※鷗外作品の記事です。



※鷗外を読んでみませんか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA