「千代女」(太宰治)

「女生徒」と本作品が、心のどこかで繋がってしまう

「千代女」(太宰治)
(「きりぎりす」)新潮文庫

十二の時に、柏木の叔父さんが、
私の綴方を投書して下さって、
それが一等に当選し、
選者の偉い先生が、
恐ろしいくらいに
褒めて下さって、それから私は、
駄目になりました。
恥ずかしい。あんなのが、
本当にいいのでしょうか…。

以前取り上げた太宰治「女生徒」
私の好きな作品で、
何度も読み返しています。
この女の子にはモデルがありました。
資料を参照すると、
昭和十三年に女性読者
有明淑(しず)(当時十九歳)から
送付された日記を題材とし、
十四歳という設定で
太宰が小説化したそうです。

さて、本作品も「女生徒」と同じ
「女性一人称告白体」の作品です。
私は「女生徒」と本作品が、というよりも
「女生徒」のモデル・有明淑と
本作品の告白主・和子が、
心のどこかで繋がってしまうのです。
和子は十八歳という、
淑とほぼ同じ年齢だからでしょうか。

「私」・和子は、子どもの頃、
「叔父さん」が勝手に投稿した
綴方が入選し、
周囲から持ちあげられます。
それがいやで、
作文を書こうとしなくなるのですが、
叔父さんは
さらに書かせようと画策します。
頑なに拒む「私」ですが、
同年代の女の子の書いた本が
売れたと知った途端、
その気持ちは変化するのです。
人間には、誰しも正反対の欲望を、
両方持っています。
「私」も「書きたくない」
「騒がれたくない」という
願いがある一方で、
「小説を書きたい」という望みも
同時に抱えているのです。

自分に才能があるのかないのか
わからないのに、
周囲から持ちあげられるのは苦痛です。
「ないかもしれない」のですから。
でも、同じ年の女の子が、
その才能を発揮しているのを見れば、
そこに焦りに似た不安を
感じるのでしょう。
自分にも同様の才能が
「あるかもしれない」のですから。

で、やはり「女性一人称告白体」、
何を告白していたかが問題です。
「才能が無いのです。
 それこそ頭に錆びた鍋でも
 被っているような、
 とってもやり切れない
 気持ちだけです。
 私には、何も書けません。」

書きたい気持ちがあるけれども、
そして書いてみたけれども、
自分には才能が
どうも無いような気がする。
和子の口を借りて出た言葉は、
結局太宰の心中にあった不安感
そのものなのではないでしょうか。
「きのう私は、岩見先生に、
 こっそり手紙を出しました。
 七年前の天才少女を
 お見捨てなく、と書きました。
 私は、いまに
 気が狂うのかも知れません。」

芥川賞が欲しくて
川端康成に手紙を書いた作者の姿に
重なります。

最後に、「女生徒」と「千代女」は
全く別の視点から
創作されたものなのですが、
十四歳の「女生徒」の「私」が、
四年後に十八歳の「千代女」の「私」に
なったような錯覚を、
私は覚えてしまうのです。
太宰に日記を送った有明淑のその後は
どうなったのか、気になるところです。

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【青空文庫】
「千代女」(太宰治)
「女生徒」(太宰治)

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