「異端者の悲しみ」(谷崎潤一郎)

谷崎はこの三行を書きたいが為に本作品を書いた

「異端者の悲しみ」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅢ」)中公文庫

「潤一郎ラビリンスⅢ」中公文庫

「異端者の悲しみ」(谷崎潤一郎)
(「刺青・秘密」)新潮文庫

「刺青・秘密」新潮文庫

それから、
章三郎は或る短篇の創作を
文壇に発表した。
彼の書く物は、
当時世間に流行して居る
自然主義の小説とは、
全く傾向を異にして居た。
それは彼の頭に醱酵する
怪しい悪夢を材料とした、
甘美にして
芳烈なる芸術であった…。

何度読んでも背筋に震えが走る
谷崎潤一郎の初期の短篇です。
結末はわかっているにもかかわらず、
主人公・章三郎は
一体どこまで堕ちていくのだろうと、
心がそわそわして
落ち着かなくなるのですが、
それだけではありません。

〔主要登場人物〕
間室章三郎

…堕落した大学生。家が貧しいにも
 かかわらず、放蕩のまねごとをする。
 他人に迷惑をかけても心が痛まない。
お富
…章三郎の妹。十五六歳。
 病床に伏し、死が目前に迫っている。
「父」…章三郎の父。
「母」…章三郎の母。
お葉…章三郎・お富の従妹。
鈴木
…章三郎に金を貸した友人。
 その後、病死する。
S…章三郎の友人。法科学生。
O…章三郎の友人。工科学生。
N…章三郎の友人。政治科学生。

友人を騙して借りた金を踏み倒す。
両親や病気療養中の妹を
蔑み暴言を吐く。
借金をした先の友人が
亡くなったことを密かにほくそ笑む。
友人たちに取り入り金を無心する。
道化になりきり
友人たちに飯をねだる。
人間のくずとしか言いようのない描写が
延々と続きます。

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それは次の展開の布石などではなく、
ただただエスカレートしていく
だけなのです。
姉妹には親戚や友人から借りた金で
芸者遊びを繰り返し、
残りわずかな命の妹へも
悪態をつく有様です。
章三郎の精神は、完全に
崩壊しているとしか思えません。
そのまま犯罪に走ったとしても、
何の不思議もないのです。

単なる堕落していく男を
描いた作品なのか?
決してそうではありません。
冒頭に掲げた一節は、
本作品の最後の三行にあたる部分です。
この部分こそが本作品の肝であり、
おそらく谷崎は
この三行を書きたいが為に
本作品を書いたのではないかと
考えられるのです。
そうなると「或る短篇の創作」とは、
刺青」にほかなりません。

この間室章三郎なる主人公は、
実は谷崎が自身をモデルとして
創作したものであり、
かなりの部分が自伝的であると
いわれています。
だとすると「刺青」をはじめとする
谷崎初期の作品は、
こうした精神状態が生み出した産物と
考えられるのです。

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崩壊した精神を持って
世間に反逆するような
犯罪を引き起こすのではなく、
その破綻しかけた精神を凝縮させ、
発酵させ、蒸留させ、
それまで誰もなしえなかった
文学作品として昇華させる。
これが谷崎潤一郎の恐ろしさなのです。
本作品の本編と、
最後の三行との間に存在する、
「書かれていない章三郎の精神の変遷」を
考えるとき、
その凄まじさに身体が震えるような
感覚を覚えるのです。

しかも芥川太宰のように
自らの精神に身を滅ぼされることなく、
谷崎は79歳まで生き続け、
小説を書き続けたのです。
彼はいかにして自らの精神を
御し続けることができたのか。
谷崎文学の探究は
奥が深いと感じる今日この頃です。

(2022.1.17)

〔「潤一郎ラビリンスⅢ」〕
The Affair of Two Watches
神童
詩人のわかれ
異端者の悲しみ

〔「刺青・秘密」新潮文庫〕
刺青
少年
幇間
秘密
異端者の悲しみ
二人の稚児
母を恋うる記

〔関連記事:谷崎潤一郎作品〕

〔潤一郎ラビリンスはいかが〕

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