「アカデミーで報告する」(カフカ)

いや、考える行為自体が、カフカを読むこと

「アカデミーで報告する」
(カフカ/丘沢静也訳)
(「変身/掟の前で 他2編」)
 光文社古典新訳文庫

アカデミーのみなさん 光栄にも
このアカデミーに招かれ、
以前ぼくが
サルだったときのことを
報告するように依頼されました。
でも残念ですが、
きちんと依頼にこたえることが
できません。
サルだったときから
ほぼ5年がたって…。

やはりわかりません、カフカは。
文庫本でわずか20頁足らずの
掌編なのですが、
いったい何を伝えたいのか、
何度読んでもわかりません。
筋書きとしては、
捕らえられたチンパンジー
「赤のペーター」が、
本来の「自由」を取り戻そうと
必死になって
「出口」を探すが見つからない、
最終手段として
人間の仲間入りをすることこそ、
自分にとっての「出口」と考え、
そしてそのようになった、という
ことなのでしょう。
それが「アカデミーで報告する」形で、
赤のペーターの一人語りで
進行するのです。

当然、何かの暗喩です。
どこが暗喩か?
①「アカデミー」とは何?
②「サル」とは何?
③「檻」とは何?
④「出口」とは何?
これを読み解くのが
本作品の味わいどころなのでしょう。

今日のオススメ!

専門家が難しくあれこれ考え、
いくつもの論文を残しているようです。
しかし定説もまだないようです。
であれば、これは読み手が素人として
心に感じたまま受け止めるので
いいのではないかと思われます。

①は、「世間」あるいは
「人間社会」ということでしょうか。
①をそう仮定してしまえば、
②は、
「世間の常識からはみ出している人」
「個性が強すぎて枠に収まらない人」
「自由奔放に生きたいと願う人」などが
当てはまりそうです。
だとすると③は、そうした人間に対する
「世間の風当たり」
「社会からの抑圧」
「同調圧力」などが収まるのでしょうか。
そして④は、
「とりあえず自らを押し殺して
迎合すること」
「周囲に合わせて生きること」となる
可能性が高そうです。

ふと考えてしまいました。
「自由であること」が
より人間らしいことであり、
そのために教育があるのでしょうが、
それが
「枠にはめる行為」になっていないか、
教壇に立つものとして不安になります。
赤のペーターはこうも述べています。
「人間の真似に
 魅力を感じたわけではありません。
 真似したのは出口を求めたからです。
 それだけの理由です」

「学問に
 魅力を感じたわけではありません。
 勉強したのは
 何かから卒業したかったからです。
 それだけの理由です」

そう言われてしまうようでは
教育は失敗です。

カフカの難問を
いろいろ考えてみましたが、
明確な解答など
所詮存在しないものかも知れません。
いや、考える行為自体が、
カフカを読むことなのかも知れません。

〔本書収録作品一覧〕
判決
変身
アカデミーで報告する
掟の前で
※詳しくはこちらから
 (光文社古典新訳文庫HP)

(2022.8.1)

Public CoによるPixabayからの画像

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