サスペンス、メロドラマ、コント。充溢する涙香の面白さ。
「恐ろしき五分間」「婚姻」「紳士三人」
（黒岩涙香）
（「黒岩涙香探偵小説選Ⅰ」）論創社
わずか五分間と言えば
いと短きことなれど、
余はその恐ろしさを
生涯忘れ得ず。
ただ五分間も余がためには
百年の思いありき。
実に余が生涯の恐ろしさを
一纏めに集むるも、ただその
五分間の恐ろしさに及ばず。
今思いても身の毛…。
「恐ろしき五分間」
日本探偵小説の嚆矢｢無惨｣、
そして宮崎駿の｢カリオストロの城｣の
モデルとなった｢幽霊塔｣を著した
黒岩涙香の短編三篇です。
｢無惨｣｢幽霊塔｣は、
本格的な探偵小説なのですが、
こちらの三篇はそれぞれことなった
味わいが魅力の作品群です。
【｢恐ろしき五分間｣主要登場人物】
余
…語り手。倫敦への最終の汽車の中で
恐ろしい経験をする。
美人
…｢余｣が汽車の中で同席した若い女性。
安蔵
…女房殺しで逃亡中の悪人。
まずは｢恐ろしき五分間｣。
こちらはホラーともいえる
サスペンス短篇です。
乗り合わせた美人女性の
足下(座席の下)に何者かが潜んでいる、
それは新聞で取り上げられている
女房殺しの容疑者らしい、
閉じ込められた車内で
誰も助けには来てくれない、
停車場まであと五分、という
身も凍るような筋書きです。
顛末はいかに。
英国のウエルスという所に
リンズイナントと呼ぶ湖水あり。
その周囲には木あり、山あり、
風景絶佳にして殊には
夏を消すに屈強の土地なれば、
年の七月より九月までは
英国の都倫敦より来りて
暑を避くるに人多し。
これもその…。
「婚姻」
続いては｢婚姻｣。
駆け落ちしたのはいいものの、
夫は働きもせずに毎晩
どこかに出歩いている、その謎は？
【｢婚姻｣主要登場人物】
秋場仙蔵
…リンズイナントに住む老紳士。
秋場園子
…仙蔵の姪。世間知らずの令嬢。
年川松雄
…仙蔵の友人･年川滝之亟の息子。
園子と駆け落ちする。
展開の面白さはあるのですが、
なんとも後味の悪い作品です。
世間知らずの令嬢の末路が哀れです。
一種のメロドラマと
いうべきでしょうか。
倫敦にリリピピ嬢と言う
美人あり。容貌の美しきが上に
年々五千円の所得あり。
この五千円は全く
リリピピ嬢一身の所有なれば、
これに行く末は嬢の物となる
父の財産と母方の伯母の財産とを
合わせれば
寐て暮らしても一万以上の…。
「紳士三人」
【｢三人の紳士｣主要登場人物】
リリピピ嬢
…美人で財産持ち。
リリピピ将軍
…猛き元将軍。退役後も
周囲に雷を落としまくる。
松山老紳士･竹川画工･梅田若紳士
…リリピピ嬢に求婚しようとする
三人の男。
こちらのリリピピ嬢も
世間知らずの令嬢ですが、
決して悪いようにはなりません。
三人の男がリリピピ嬢に
求婚するのですが、
この作品にいたってはコントです。
結末をご笑味あれ。
さて、現代の物差しで測れば、
決して及第点に届くような
ミステリではないことは確かです。
しかしながら、
外国作品の面白いものを見つけてきては
せっせと翻案
(翻訳ではない)するという、
涙香のこうした作品づくりの果てに、
現在の日本ミステリの
隆盛があるのです。それぞれ
サスペンス、メロドラマ、コント。
涙香の面白さが充溢しています。
三篇とも粗筋代わりに
冒頭の一節を抜粋しましたが、
文語調の格調高い文体、
英国が舞台でも人物は日本名、
面白さ最優先といった、
涙香の(というよりはこの時代の)
ミステリの形を、
じっくりと味わうべき作品群です。
※「黒岩涙香探偵小説選Ⅰ」
収録作品一覧
無惨
涙香集
涙香集序
金剛石の指輪
恐ろしき五分間
婚姻
紳士三人
電気
生命保険
探偵
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※｢黒岩涙香探偵小説選Ⅱ｣も
一緒にどうぞ
（2022.7.29）
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