それが男女間の心の機微というものなのでしょうか
「行く雲」(平林たい子)
(「百年文庫041 女」)ポプラ社

人間が生れることは
奇跡に思われた。
ところが他の場所で
山口の子供が生れたことは、
それ以上の奇跡だった。
その驚きの遠心力で、
里子は山口と
すぱりと別れてしまった。
刀でなぎ払ったほど、
その別れの切り小口は
美事だった…。
どのように「美事」だったのか?
夫・山口はその隠し子を
籍に入れるために
手続きを妻・里子に任せるのですが、
里子は預けられた印鑑を使って、
そのまま離婚届を作成、
「美事」に素早く
離婚を成立させるのです。
作中では「協議離婚」という言葉で
処理されていますが、
現在それをやってしまうと
有印公文書偽造ということになります。
その離婚の心理が絶妙です。
「すべてが堪えがたくて夫と
一緒にいられなかった」だけでなく、
「えい、こうして、あの女と夫を
一緒にさせてやれ」という気持ちが
あったからだと綴られています。
里子は夫の浮気相手の
女としての力量を見抜き、
一緒になれば夫はさらに不幸になると
計算した上でのことなのです。
その読み通り、
家事の能力に欠けた「あの女」は、
料理一つ満足にできず、
それに苦しむ夫の噂を聞きつつ、
里子は溜飲を下げるのです。
それでいながら、
一抹の寂しさも同時に感じています。
「(そうした不都合は)たまにある
波の頂で起こっている出来事である。
そういう波がしらと
波がしらとの間には、
平穏で睦じく、
また甘ったるい日常生活が
いっぱいにみちているのである」。
さらに面白いのは、
里子はついつい「あの女」や
その子・女礼に、何かにつけて
世話を焼こうとしてしまうのです。
まるっきり絶縁ではなく、
どこかでわずかにつながっている、
それが男女間の
心の機微というものなのでしょうか。
さて、
作者・平林たい子は波乱の人生を歩んだ
プロレタリア作家です。
女学校卒業後すぐに上京、
アナーキストのグループと
交流を始めます。
関東大震災の際は
逮捕・拘留されもしました。
後に女流文学会会長となった彼女は、
「姐御的存在」として
後進の女性作家を育てる一方で、
「女傑」として、
男の論理が幅をきかす文壇に
一石を投じています。
かなり男性的な女性(表現は
適切でないかも知れないのですが)
だったのだろうと推察されます。
その平林でさえ、作中での里子を、
書類の上ではすっぱりと
関係を断ち切ったものの、
心のどこかでは元夫との繋がりを
切れないでいる女性、として
描いているのです。
さっさと独立・自立する女性の物語を
書いてもよさそうなものですが。
もしかしたら他の作品では、
もっと硬派な生き方を
描いているのかも知れませんが、
現在では書店で平林の作品を
見つけることはできません。
もっとその作品世界を覗いてみたい
作家の一人です。
〔平林たい子の作品について〕
紙媒体の作品集は、
現在本書を含めて絶版中です。
しかし、電子書籍で
「愛と悲しみの時」「女ひとり」
「情熱の市」の三つが出版されています。
あとは中古で講談社文芸文庫を
あたった方がよさそうです。
「こういう女・施療室にて」
「平林たい子毒婦小説集」
「林芙美子・宮本百合子」の
三冊が見つかるはずです。
〔「百年文庫041 女」 収録作品〕
(2022.9.14)

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