「金の角持つ子どもたち」(藤岡陽子)

勉強ができるということは、それだけで武器になる

「金の角持つ子どもたち」(藤岡陽子)
 集英社文庫

「金の角持つ子どもたち」集英社文庫

まもなく中学受験を控えた
子どもたちを受け持っている
塾講師・加持は、
同僚の新人・猿渡から
転職理由を尋ねられる。
加持はかつては証券会社の
エリート社員だったのだ。
加持は重い口を開く。
「子どもたちに
武器を与えたいからだ」…。

中学受験や高校受験のための学習は、
これまでネガティブなイメージで
語られることが
少なくありませんでした。
「そこまでしなくても」
「子どものうちは
伸び伸びと育てるべきだ」
「詰め込むような学習は意味がない」。
そして、
「学歴や学力がなくても、
好きなことを仕事にすれば
立派に生きていける」。
確かにその通りかも知れません。
嫌がっている子どもに、
学習を無理強いするのは
どうかと思います。しかし、
学力を伸ばしたいと思っている子ども、
中学受験をしたいと
思っている子どもに、
しっかりと寄り添うことも
大人の役割だと思うのです。
本作品は、
中学受験で得られるものは何かという
今日的主題に正面から挑んだ、
藤岡陽子の画期的な小説です。
それも、
受験生(小学校6年生)の母親(第一章)、
受験生本人(第二章)、
塾講師(第三章)と、
それぞれの視点から
リアルに描ききっています。

【主要登場人物】
戸田俊介
…都内有数の難関校・
 東栄大学附属駒込中学校を目指し、
 進学塾・Pアカデミーに入塾する。
戸田菜月
…俊介の母。家庭の事情により
 中卒で働かざるを得なかったことを
 後悔している。
戸田浩一
…俊介の父。中学受験に
 反対していたが、
 やがて応援するようになる。
戸田美音
…俊介の妹。
 耳が聞こえない障碍を持つ。
穂村倫太郎
…俊介の友人。Pアカデミー塾生。
辻本あかり
…Pアカデミー塾生。
加持将士
…Pアカデミー講師。俊介の担当。
 子どもたちを熱心に指導する。
加持直也
…加持の弟。
 数年前まで引きこもりだった。
猿渡
…Pアカデミー新人講師。
 以前は小学校常勤講師。

「学力は武器になる」。
それが本作品で作者が
訴えたかったことなのでしょう。
第一章では母・菜月が、
中卒で終わってしまった
自らの学歴を悔やみ、
家族が無理をしてでも子どもの願いを
叶えようと奮闘する姿が描かれます。
それは
昭和の時代の教育ママ的発想でもなく、
自分の叶わなかった夢を押しつける
エゴイズムでもなく、
ただひたすらに子どもの夢に
寄り添おうとする姿であり、
共感できます。
第一章の終末の、
保育士の資格を取ろうとする、
彼女自身の人生を再挑戦する姿が
印象的です。

第二章では、
俊介が中学受験を志した
本当の理由が明らかにされます。
12歳であるにもかかわらず、
その背負っているものの重さに
同情してしまいます。
ただし、この章で考えるべきは、
小学校の担任教師の
姿勢ではないかと思うのです。
俊介の塾通いを応援していると
前置きしながらも、
それは小学生らしくないと、
結局は否定しているのです。
その言い分はわかります。
しかしそれこそが
大人たちが暗黙のうちに抱いている
「受験勉強に対するネガティブ・
イメージ」にほかなりません。
児童生徒に寄り添っているように
見えて、それは自分の価値観の
押しつけに過ぎないのです。

そして第三章では、
いよいよ塾講師・加持の視点から
中学校受験について語られます。
冒頭に掲げた粗筋中の加持の一言、
「子どもたちに武器を与えたいからだ」が
すべてを表しています。

学力以外の
特殊な才能があるのであれば、
自分の好きなこと、やりたいことを
仕事にすることは可能でしょう。
しかし多くの子どもたちは、
そのような特殊な才能は
持ち合わせていないのです。
そうした子どもたちに対して
「学歴や学力がなくても、
好きなことを仕事にすれば
立派に生きていける」と諭すのは、
まったく無責任なことだと
私は感じていました。
学力はすべてではありません。
しかし、学力は世の中を生きていく上で、
確かな「武器」となり得るのです。

続く加持の言葉が印象的です。
「勉強ができるということは、
 それだけで武器になると
 おれは思っている。
 勉強は、これといって取柄のない
 子どもの拠り所になるんだ。
 親から受け継いだ、
 社会での立ち位置を覆せる」

かつて日本は、いや世界は、
親の地位や財産を受け継ぐ
世襲が当たり前の「身分社会」でした。
しかし、それを否定し、
本人自身の能力が
正当に評価されるのが「学歴社会」です。
親の貧困を子が受け継ぐのは
正しい社会の在り方ではありません。
学力は、社会で生きていく上での
武器なのです。

ただし、本作品中での加持は、
決して受験競争を勝ち抜く子どもを
育てようとしているのではないことが
綴られます。
彼の本当の願いは、
学習に躓いている子どもたちに
救いの手を差し伸べることなのです。

教育が本当に目指すべき姿が、
そこここに鏤められている作品です。
そしてそれは私が十数年前から
挑んでいることでもあります。
学力が簡単に否定されるような
世の中ではなく、
正当に評価される社会であって欲しいと
思います。
本作品が刊行された価値は、
限りなく大きいと考えています。

〔関連記事:学力に関する本〕

(2022.12.5)

svklimkinによるPixabayからの画像

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