「春雪」(久生十蘭)

戦争という極限状態の中でも人は幸福を見つけられる

「春雪」(久生十蘭)
(「百年文庫056 祈」)ポプラ社

「百年文庫056 祈」ポプラ社

知人の娘の結婚式に出席した
池田は、姪の柚子のことを考え、
無念な思いをかみしめる。
柚子は人生の楽しみの
何も味わうことなく、
二十三歳の若さで
この世を去ったからだ。
しかし柚子には、
叔父に隠し通した
ある思いがあった…。

「生霊」「黄泉から」など、
異界との交歓を描いた作品を
数作読んだきりだったため、
久生十蘭という作家は
おどろおどろしい怪談物を書く
作家だと勘違いしていました。
本作品は美しい日本語による
味わいの深い短編小説です。
さて、柚子が叔父・池田に隠し通した
「思い」とは何か?

今日のオススメ!

柚子は「十七から二十三までの
大切な七年間を、戦争に
追いまくられて」生活していました。
そして栄養失調で痩せ細った後、
最後の願いだといって
キリスト教の洗礼を受けた数日後、
肺炎をこじらせ亡くなったのです。
池田は、柚子が若い娘として
何の楽しみも味わいことなく
夭折したのだと考えていたのです。
しかしそうではないことを、
結婚式で同席した友人・伊沢から
聞くことになるのです。

〔主要登場人物〕
池田藤吉郎
…陶器販売商を営む。戦争のさなか、
 姪・柚子が亡くなったことを悔やむ。
柚子
…池田の姪。貧しい家庭に育つ。
 父と兄は出征、母は早世。
 池田の家族と暮らす。
伊沢忠
…池田の同業者の友人。
 柚子も親しくしていた。
ロバート・チニー
…捕虜となった米国軍人(カナダ人)。
 伊沢の働く工場へ使役に来ていた。
 キリスト教徒。日本の病院で病没。
チニー夫人
…ロバートの母親。伊沢が池田に
 引き合わせようとした夫人。

池田にも思い当たる節はあったのです。
柚子がバス停で、
バスにも乗らずずっと立ち尽くしたまま
国道を眺めていたこと、
古神道と皇道主義の
狂信的な家庭で育ったにもかかわらず、
キリスト教の洗礼を望んだこと、
友人からのもらい物の安い指輪を
つけたまま焼かれたいと望んだこと、
不自然なことが多々あったのです。

柚子の「思い」は…、
池田の想像を超えたものでした。
ぜひ読んで確かめてください。

真相を語り、池田に詰め寄られた
伊沢はこう答えます。
「いったい、
 あれはどういう時期だった?
 まさか、こんなざまで
 降伏するとは思わない。
 最後の洞穴に立て籠って、
 一人になるまで
 やるほかないだろうと
 いいあったことを、
 君も忘れはしまい。
 あの二人は、話はおろか、
 指先にさえ触っていないんだ。
 このみじめな敗戦のさ中に、…」

そして池田は納得するのです。
「柚子の生活は、
 充足した日々だったらしい。
 人生という盃から、
 柚子は滓も淀みも、みな飲みほし、
 幸福な感情に包まれて死んだ」

筋書きの
もっとも肝腎な部分を記してしまうと、
これから読み味わう魅力が
失われてしまいますので、
このような形でしか説明できません。
ただ一つ、明らかにできることは、
戦争という極限状態の中でも、
柚子の魂は幸福を見つけることが
できたということです。
作品冒頭、友人の娘の結婚式で
やるせない思いを抱えていた
池田の心は、
終末では綺麗に晴れ渡っています。
終戦以来ずっと引きずっていた
池田の悲しみが、
春の雪のように融けていった
爽やかさがなんともいえません。

久生十蘭の祈りにも似た小説「春雪」。
短編の味わいを
十分に愉しませてくれる一篇です。
ぜひご賞味ください。

〔本書収録作品〕
春雪 久生十蘭
城の人々 チャペック
 アルツィバーシェフ

(2023.2.22)

kristamoniqueによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「春雪」(久生十蘭)

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