「文字禍」(中島敦)

で、例によって、よく分かりません。

「文字禍」(中島敦)
(「中島敦全集1」)ちくま文庫

「中島敦全集1」ちくま文庫

国王から文字の霊の研究を
命じられた老博士は、
図書館で膨大な文献を
解読する作業を行う。
一つの文字を
長く見つめているうちに、
文字がバラバラとなり、
彼はそれを文字として
認識できなくなる。
彼は文字の霊の存在を
感じ取るが…。

「言霊」もしくは「言魂」。
声に出した言葉は、現実の事象に
何がしかの影響を与えると、
日本では古来より信じられてきました。
古代日本においては、
「言」と「事」が同一の概念だったことに
よるものなのだそうです。
ゆえに日本は、「言霊」の力によって
幸せがもたらされる国
「言霊の幸ふ国」とされてきたのです。
発声言語に霊が宿るなら、
文字言語に宿っても
不思議ではありません。
「御札」や「呪符」などは
その一例でしょう。

さて、今日取り上げるのは
中島敦の短篇「文字禍」です。
アシュル・バニ・アパル王が治める
新アッシリア王国時代に、
ニネヴェの宮廷に妙な噂が起こります。
ニネヴェ図書館の闇の中で聞こえる
怪しい話し声、それがどうやら
文字の霊によるものらしい、
ということで命ぜられた
「文字の霊の研究」。それが
この老博士に「禍」をもたらすのです。

〔主要登場人物〕
アシュル・バニ・アパル王
…アッシリア国王。
 老博士に文字の霊の研究を命じる。
ナブ・アヘ・エリバ博士
…巨眼縮髪の老博士。
 文字の精霊について研究を始める。
イシュデイ・ナブ
…若い歴史家(宮廷の記録係)。
 老博士と歴史について問答する。

で、例によって、作者・中島敦が
本作品によって何を伝えたいのか、
よく分かりません。
考えられる一つめとしては、
文学作品として、そこに
何らかの教訓を盛り込んだのでは
ないかということです。
言葉(というよりも「知識」)が
決して人間を
幸福にはしないというメッセージを、
無理に読み取ろうとすれば
できないこともないのです。
でも、
あまりに安易な解釈かもしません。
そもそも文字で書かれたもので
商売をしている「作家」が、
文字を否定するようなテーマを
設定するのかどうか?
自虐的主題、自己否定テーマの
可能性も考えられるのですが、
どうもしっくりきません。

二つめとしては、
文字には確かに神聖な力が宿っていて、
人々に「禍」をもたらすというもの。
表題の「文字禍」からすれば、
それが妥当であるような気がします。
でも、だとすれば中島がそれによって
何を伝えたいのか、
やはり分かりません。
そして文字がそのように
禍々しいものであるならば、
やはりそれを生業としている作家の
書くべきものとも思えないのです。

そうなると三つめとしては、
面白い素材を並べて組み合わせ、
エンターテインメントとして
完成させたということです。
例えば、一つの文字を注視していると、
それがバラバラになり、
文字として認識できなくなるという
現象を扱っています。
これはまさしく「ゲシュタルト崩壊
(全体性を持った
まとまりのある構造から
全体性が失われてしまい、
個々の構成部分に
バラバラに切り離して
認識し直されてしまう現象)であり、
そうした現象を体験した中島が、
それを素材として生かそうとした
可能性が考えられます。

「ゲシュタルト崩壊」が報告されたのは
1947年のこと、
一方、本作品が発表されたのは1942年、
この年に中島は夭折しています。
つまり中島は、いちはやく
そうした現象が起こることを認識し、
それを作品に落とし込めないか
考えた結果なのかも知れないのです。

また、「ある書物狂の老人の話」が
出てくるのですが、
本(といっても瓦)を愛するあまり、
「ギルガメシュ叙事詩」の記された瓦を
嚙み砕き、
水に溶かして飲みこんだという逸話も
挿入されています。
実際、「ギルガメシュ叙事詩」には
いくつかの欠損部分があるのですが、
それを上手く説明できています。

加えて、文字による弊害として
あげられているのが、
「蝨を捕るのが下手になった」
「眼に埃が余計はいるようになった」
「今まで良く見えた空の鷲の姿が
見えなくなった」
「空の色が以前ほど碧くなくなった」
など、どう考えても
実害の小さなものばかりで、
笑いをとっているようにしか
思えないのです。

さらには、
最後に老博士に襲い来る災難が、
大地震により倒壊した書物
(といっても瓦)の下敷きとなり、
圧死するというものです。
まさか場所が
「アッシリア」だから「圧死」!?
駄洒落を言いたくて
舞台を「アッシリア」にしたとは
思いたくないのですが、
その可能性を捨てきれないのです。

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〔青空文庫〕
「文字禍」(中島敦)

〔ちくま文庫「中島敦全集1」収録〕
古譚
 狐憑
 木乃伊
 山月記
 文字禍
斗南先生
虎狩
光と風と夢
[習作]
 下田の女
 ある生活
 暄嘩
 蕨・竹・老人
 巡査の居る風景
 D市七月叙景(一)
[歌稿 その他]
 和歌でない歌
 河馬
 Miscellany
 霧・ワルツ・ぎんがみ
 Mes virtuoses(My virtuosi)
 朱塔
 小笠原紀行
 漢詩
 訳詞
解説・解題

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