さぞかし異国ロマン溢れる作品かと思いきや…
「独探」(谷崎潤一郎)
(「潤一郎ラビリンスⅥ」)中公文庫
私は此れから私の友人であった
G――と云う墺太利人の話を
しようと思って居る。
彼は今年の二月ごろ、
図らずも独探の嫌疑を受けて、
都下の新聞紙上に
普くその名を曝されて、
日本を放逐されてしまった
人々の一人である。しかし…。
谷崎潤一郎の中公文庫刊短編集
「潤一郎ラビリンス」第6巻のテーマは
「異国綺談」。
その冒頭の第一作が本作品「独探」です。
「独探」とは、
独逸・墺太利人のスパイのこと。
本作品の発表は大正4年(1915年)。
第一次世界大戦下の
スパイ大作戦のような、さぞかし
異国ロマン溢れる作品かと思いきや…、
そうではありませんでした。
墺太利人のG氏と「私」との
交流を描いているのですが、
そこにドラマチックな展開もなく、
単なるエッセイのようにも
思える作品ですが、
不思議な味わいがあります。
本作品の味わいどころ①
人を食ったようなG氏のふざけた人柄
いちばんの味わいどころは、
このG氏のふざけた人柄でしょう。
胡散臭さが存分に漂っています。
インテリのふりをしているが、
その実、無教養がバレバレ。
妻子を大久保の
本宅に住まわせているが、
自身はほとんどを森川町の別宅住まい。
雇った女中に性行為を持ち掛け、
断られると解雇する。
世界の諸処を旅歩いて
様々な職業に就いて儲けた話をするが、
今やっているのは学生相手の語学教室
(それもいい加減な)。
本国から召集を受けたと言った割には
いつまでも日本に居座っている。
「私」に上手にたかって奢らせ、
吝嗇家らしく金を貯めている。
コミカルな場面の連続なのです。
人を食ったような
G氏のふざけた人柄を、
まずはしっかり味わいましょう。
本作品の味わいどころ②
欧州の文化に接近できない残念な「私」
「私」(おそらく谷崎自身)は、
なぜG氏と交際していたのか?
語学習得のためです。
欧州に憧れ、欧州と同化したいとさえ
思っているにもかかわらず、
「私」は語学がからきし駄目なのです。
しかも移住するどころか
短期洋行する資金にも事欠き、
それゆえの異国人との交流なのです。
しかしG氏と交流しても、
「私」の語学力は
まったく向上しないのです。
「たまたま彼が外国語で話しかけても、
私がはかばかしく
其れに応対しなかったので、
彼は拠ん所なく
窮屈な日本語を使ったのである」。
小心な日本人には
よく見られるパターンです。
他の谷崎作品に登場する多くの「私」は、
大胆不敵、豪放磊落、
傍若無人な振る舞いを
堂々と為しているのとは大違いです。
谷崎の作品には珍しい性格の「私」、
きわめて平和で臆病で小市民的な
「私」の滑稽さを、
続いて十分に味わいましょう。
本作品の味わいどころ③
とってつけたような末節の絶妙な効果
単なるユーモア小説で
終わっていません。
最後のとってつけたような末節の7行が、
味わいを深めています。
「私は此の話を書き終る時分まで
全くG氏は独探ではなかろうと
信じ」ていたのですが、
その後、G氏と連絡を取っていた
日本人スパイの摘発されたことを伝え、
「G氏はやっぱり独探であったのかも
知れない」と結んでいるのです。
ふざけた人柄のG氏が、
実は本物のスパイだったとすれば、
かなり優秀な
人物ということができます。
交際していた誰にも気づかれず、
疑われず、間抜けぶりを
信じ込ませていたのですから。
もしかしたら本当のスパイ小説は、
こうあるべきなのかも知れない。
そんな思いを読み手に抱かせる、
とってつけたような、
それでいて深い味わいを醸し出す
末節の7行を、最後に
じっくりと味わいたいものです。
読み始めには軽い失望を
感じさせる作品でありながら、
最後まで読むと
やはり谷崎らしい創意と工夫に満ちた
味わい深い作品となっているのです。
秋の読書にぜひご賞味あれ。
〔「潤一郎ラビリンスⅥ」収録作品〕
独探
玄弉三蔵
ハッサン・カンの妖術
秦淮の夜
西湖の月
天鵞絨の夢
〔中公文庫「潤一郎ラビリンス」〕
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