「キャベツ」(石井睦美)

幸せな家庭の、幸せな「ぼく」の姿を

「キャベツ」(石井睦美)講談社文庫

「キャベツ」講談社文庫

すべての始まりはキャベツだ。
そんなふうに言い出すと、
このフレーズはなんかこう深遠な
哲学的命題のように聞こえる。
でもそうじゃないんだ。それは
正真正銘のキャベツなんだ。
生まれたての青虫が
思わず恋しちゃいそうな、…。

料理のハウ・ツー本ではありません。
農業関係のテキストでもありません。
児童文学作家・石井睦美の作品です。
といっても、児童文学ではありません。
なぜなら主人公は大学1年生の兄と
高校生(おそらくは2年生)の
妹だからです。
それでいて青春物語でもありません。
兄はサークル活動に
打ち込んでいるわけでもなく、
恋愛に心をときめかせているわけでも
なく(少しだけときめかせたのですが)、
家事に勤しんでいるのですから。
父親を亡くし、
母は会社勤めで帰りが遅く、
兄は中学校2年生のときから
食事をつくっているのです。
でも、悲しい物語でもなく、
昨今問題となっているヤングケアラーの
告発小説でもありません。
では、何か?
ほのぼのとした一家の物語というのが、
最も近いのではないかと考えます。

〔主要登場人物〕
「ぼく」(竹中洋)

…語り手。大学1年生。家事をこなす。
 中学校2年生のときに父親と死別。
 以来、母親と妹の三人暮らし。
竹中美砂
…高校生。明るい性格。
 兄との関係良好。
竹中亜紀
…洋・美砂の母親。会社勤めをしている。
「(川向こうの)ばあちゃん」
…洋・美砂の父方の祖母。
 資産家であり、一家にマンションの
 一室を提供している。
 アバンギャルドな性格。
佐伯加奈子
…美砂の親友。奥ゆかしい少女。
 兄・洋と結びつけようと
 美砂が画策する。
青木…洋の友人。

本作品の味わいどころ①
悲壮感のない、明るい家族小説

父親が早くに亡くなった、
母親が会社勤め、
長男が家事を代行、
こうなると余裕のない母子家庭生活が
思い浮かびます。しかし一家は、
決して悲壮感に包まれてはいません。
「ぼく」は父親の死を
しっかりと受け止め、
ごく自然に家事をこなしています。
そして家事(特に料理)に、
喜びすら見出しているのです。

「ぼく」の趣味は読書と空想。
読書はともかく空想は、
青年にしてはやや特異な傾向ですが、
それも自分の置かれた環境の中で
最大限の楽しみを見つけようとした
結果なのでしょう。
環境を自らの力で変えていこうとする
考えも確かに大切ですが、
「ぼく」のように自らを環境に合わせて
変化させていくこと―もっと言えば
アップデートさせること―も
幸せに生きる上で必要なことです。
この悲壮感のない、
明るく描かれている「ぼく」とその家庭を
まずはじっくり味わいたいものです。

本作品の味わいどころ②
人生いろいろ、家族もいろいろ

世間一般で考えられているような
「青春」を、「ぼく」は経験していません。
でも、決して不幸ではないのです。
家族を支える生活も
人生の一つの形なのです。
母・兄・妹の三人の家庭の中で、
男子の「ぼく」が
家事全般を分担するのは、
一昔前の感覚では
違和感のあるものかもしれません。
しかし「ぼく」はそこに
疑問を感じていません。
家事に生きがいを見出す男子は、
もはや珍しいものでは
なくなりつつあります。
これも家族の一つの有り様なのです。
当たり前に「主夫」をこなしている
「ぼく」の自然体の姿を、
次に丹念に味わっていただきたいと
思います。

本作品の味わいどころ③
支え合う二人、素敵な兄妹関係

なによりも「ぼく」と美砂の兄弟関係が
素敵です。
憎まれ口を叩いたり素っ気ない態度を
示したりするものの、
美砂は「ぼく」を信頼し、
感謝しているのです。
決してベタベタと
甘えたりもしない代わりに
しっかりとした兄妹愛が築かれている、
素敵な関係が描かれているのです。
この明るく爽やかな兄妹の姿こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。

もしかしたら本作品については、
批判的な意見も生じるかもしれません。
一家は父方の祖母から援助を受け、
金銭的には不自由しない環境の中での
母子家庭です。
困難がないのは当たり前であり、
家庭が明るいのは当然だろうという
見方ができます。
また、「ぼく」の家事代行は、
現在においては明らかに
ヤング・ケアラーであり、
それを美化しているような描き方は
問題と捉えられる可能性もあります。
さらに、美砂によって
「ぼく」と加奈子のデートが
仕組まれるのですが、なぜ「ぼく」は
加奈子が好きであるにもかかわらず
交際を諦めたのか、
その心理が理解できません
(もっとも交際が実現すれば、
大学生と高校2年生では
何かと問題も生じるのでしょうが)。
そして最後に現れる
美砂の「ぼく」に対する感情は、
どこにも手掛かりが描かれていないため
唐突感が拭えません。

現実的な見方をしてしまえば、
このように気になることが
いくつか出てくるのですが、
そうしたことが些細に感じられるほど、
本作品の世界は幸せに満ちています。
幸せな家庭の、幸せな「ぼく」の姿を
十分に堪能すべきなのでしょう。
ぜひご賞味ください。

(2024.2.26)

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