「安全マッチ」(チェーホフ)

あれっ、チェーホフってあの文豪の?

「安全マッチ」
(チェーホフ/池田健太郎訳)
(「世界推理短編傑作集1」)
 創元推理文庫

「世界推理短編傑作集1」創元推理文庫

主人が殺されたという通報に、
予審判事と
その助手兼書記の青年が
捜査を開始する。
現場に残されていた
安全マッチから、
青年は犯人を推理する。
青年は誇らしげに言い放つ。
「今日という日から、
僕は自分を
尊敬しはじめますよ!」…。

世界推理短編集第1巻に収録された
短篇ミステリ。
作者はチェーホフ
あれっ、チェーホフってあの文豪の?
私も最初そう思いましたが、
間違いなくロシアの文豪その人です。
描かれているのは死体なき殺人。
ミステリではよくあるパターンです。
しかしその後の顛末は
よくあるものではありませんでした。

〔主要登場人物〕
マルク・イワーヌィチ・クリャウゾフ

…農園領主。退役近衛騎兵少尉。
 殺害された形跡があるが、
 死体は見つからない。
マリヤ・イワーノヴナ
…マルク・イワーヌィチの姉。45歳。
 容疑者とされる。
イワン・ミハイルィチ・プセコーフ
…クリャウゾフ家の支配人。
 農園技師・機械技師。
 主人が殺されたらしいと通報した。
 容疑者として拘束される。
エフレーム
…クリャウゾフ家の庭師の老人。
アクーリカ
…クリャウゾフの情婦。
ニコライ・チェチェホーフ
 (ニコラーシカ)
…クリャウゾフの侍僕。
 容疑者として拘束される。
 アクーリカを寝取られた。
ダニールカ
…羊飼い。プセコーフとニコラーシカの
 怪しい行動を証言。
エヴグラフ・クージミチ
…老齢のS郡第二警察分署長。
 事件の現場検証を担当。
オリガ・ペトローヴナ
…エヴグラフの妻。23,4歳。
 安全マッチを購入。
アルツィバーシェフ=
 スヴィスタコーフスキイ

…郡警察署長。
チュチューエフ
…監察医。
ニコライ・エルモラーエヴィチ・
 チュビコフ

…予審判事。事件の捜査にあたる。
デュコーフスキイ
…予審判事の助手兼書記の青年。
 事件の謎を解こうと奮闘する。

本作品の探偵役は実は
予審判事の助手兼書記の青年・
デュコーフスキイなのです。
探偵小説好きであり、
死体なき殺人である
「クリャウゾフ事件」を何とか自分の手で
解決しようと躍起になるのです。
ところがあまりまともなキャリアを
歩んできたわけではなさそうです。
「神学校を追い出され」たくらいですから
勉学に対して
真面目ではなかったのでしょう。
さらには「ガボリオしか
読んだことのない」のですから、
教養も確かではなさそうです。
でも、経歴が怪しい名探偵は
いくらでもいます。
この名探偵の卵・
デュコーフスキイの名推理こそ
本作品の味わいどころなのです。

本作品の味わいどころ①
直感的な推理を連発する若き探偵

被害者の長靴がそれぞれ
離れた場所から見つかったことから、
「被害者は心室で首を絞められ、
屋外に運ばれて
鋭利なもので刺された」と、
デュコーフスキイは結論づけます。
そして被害者は
力の強い大男であったため、
二人がかりで犯行に及んだ」と
考えるのです。
何やら名探偵然としているのですが、
直感的に過ぎるのです。
まるで金田一映画に登場する警部が
手を打ちながら
「よーし、わかった!」と
思いついたまま犯人を名指しする行為と
変わりありません。
大丈夫か、この青年探偵は?
デュコーフスキイの
溢れ出る若さと未熟さを、
まずはしっかり味わいましょう。

ところが、そんな読み手の
疑念を払拭するように、
捜査陣はプセコーフとニコラーシカの
二人を逮捕するのです。
二人は動機は十分。
怪しい行動をしていた
証言もあるのですが…、
これで結末では
ミステリとして成立しません。

本作品の味わいどころ②
物的証拠から物語をつくる若き探偵

デュコーフスキイの推理の源は、
証拠の観察から
組み立てられる物語であって、
決して思いつきではないのです。
別々の場所から発見された
被害者の長靴、
床に落ちていた安全マッチの燃えさし、
枕に残された歯形、
いらくさの上に落ちいていた
暗青色の毛織物の毛、
そうしたものを勘案して
物語を創造しているのです。
ホームズ並の観察力であり、
推理力です。
もしかしたらやはり
デュコーフスキイは名探偵!?
デュコーフスキイの
滲み出る才能の片鱗を、
次にじっくり味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
勢いよく猪突猛進する若き探偵

その安全マッチの燃えさしから、
デュコーフスキイは意外な人物を
真犯人として割り出すのです。
それは何と警察分署長の若夫人・
オリガ・ペトローヴナ。
諫めるチュビコフですが、
デュコーフスキイの勢いに負け、
夜更けにもかかわらず二人は
署長宅へ勇んで乗り込むのです。
そこで見たものは…。
そこからは
ぜひ読んで確かめてください。
デュコーフスキイの
ドン・キホーテばりの猪突猛進ぶりを、
最後にたっぷり
味わっていただきたいと思います。

読み終えれば、
「死体なき殺人」などといった
本格的ミステリではないことに
「してやられた感」で一杯になります。
さすがチェーホフ。
ぜひご賞味ください。

※マッチすら見たことのない若い人が
 多くなりましたが、
 現在の「マッチ」は「安全マッチ」。
 それ以前は「黄燐マッチ」と
 呼ばれるものが普及していました。
 「黄燐マッチ」は、
 先端の薬剤が有毒である上に、
 どんなものにこすり付けても着火し、
 時には自然発火さえするような
 物騒な代物でした。
 本作品の創作された時代のロシアでは
 この「安全マッチ」が
 まだまだ一般的ではなかったのです。

(2024.5.24)

〔「世界推理短編傑作集1」〕
序 江戸川乱歩
盗まれた手紙 ポオ
人を呪わば コリンズ
安全マッチ チェーホフ
赤毛組合 ドイル
レントン館盗難事件 モリスン
医師とその妻と時計 グリーン
ダブリン事件 オルツィ
十三号独房の問題 フットレル
短篇推理小説の流れ1 戸川安宣

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