「スマラ(夜の霊)」(ノディエ)

夢の中で揺らいでいく自我を疑似体験

「スマラ(夜の霊)」
(ノディエ/篠田知和基訳)
(「ノディエ幻想短篇集」)岩波文庫

人の想像力は
眠っているあいだに、その
自由で孤独な魂の力によって、
精霊たちの至福に参加する。
魂は彼らとともに飛びあがる。
そして、
空中の夢のコーラスのただ中に
奇蹟によって支えられる、
朝の鳥の歌が
そのいたずらものの…。

ノディエの短篇作品
「スマラ(夜の霊)」を読みました。
読みましたが、何を書いているのか、
今ひとつよくわかりません。
わからないことを
わからないなりに考え、
読み解くことが、
本作品の味わいと考えられます。

〔主要登場人物〕
ロレンツォ

…結婚したばかりの青年。
 眠っている間に悪夢を見る。
ルキウス
…ロレンツォが夢の中でなりきっている
 人格。古代ギリシャ時代の
 騎士のような立場と考えられる。
ポレモン
…ロレンツォが夢の中でなりきっている
 もう一つの人格。ルキウスの
 友人のような立場と考えられる。
リシディス
…ロレンツォの妻。

〔本作品の構成〕
プロローグ(序章)
レシ(物語歌)
エピソード(挿曲)
エポード(第三歌)
エピローグ(終曲)

本作品の味わいどころ①
夢の中で揺らぐ自我

本作品のわかりにくさは、
一人称で綴られていながら、
その語り手が変化していることです。
「プロローグ」では
「ロレンツォ」なる青年が
語っているのですが、
本編では「ルキウス」なる人物が
語り手となっています。
ところが途中から「ポレモン」なる人物に
その意識が移り変わっているのです。
本編部分は、
さまざまな風景や恐怖体験が
次から次へと現れる
カオス状態が続きます。
理解不能のまま
「エピローグ」までたどりつくと、
どうやら「ロレンツォ」の見た夢について
書かれてあるということに
突き当たるのです。

さらにその夢の舞台が
どういう設定なのかも
理解が難しいところです。
「ルキウス」「ポレモン」という名前自体が
フランス的ではなくギリシャ風です。
しかもルキウスもポレモンも
騎士のような役割です。
つまり夢の舞台は古代ギリシャ、
それも歴史上に
実在したものとは異なる、
架空の世界(夢だから当然なのですが)と
考えられます。

本編での語り手ルキウスやポレモンは、
ロレンツォが見た
夢の中の自分自身なのです。
しかしその人格は異なります。
ロレンツォ人格での一人称が
「ぼく」であったのに対し、
本編部分は「おれ」です。
それが示すように、
本編部分の語り手の人格は
強気で傲慢な印象を受けます。
ロレンツォとは
別人格となっているのです。
夢の中で場所や時間が変遷するのは
当然のこととして、
自我までが崩壊していくのです。
この、夢の中で揺らいでいく自我を
疑似体験することこそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
悪霊と不条理の世界

このロレンツォの見た夢は、
一言でいえば「悪夢」です。
表題「スマラ」自体が、睡眠中に
胸を圧迫する悪霊を指しています。
作中では小さな醜い怪物として登場し、
眠っている者の胸に飛び乗って
呼吸を苦しめます。
これはいわゆる「金縛り(睡眠麻痺)」の
感覚を擬人化したものであり、
睡眠中の苦痛の象徴として
描かれているのです。

そして夢の中である本編部分では、
友人が怪物(吸血鬼と考えられる)に
血を吸われる恐怖や、
魔女の国テッサリアでの
おどろおどろしい異様な儀式、
そして自らが断頭台で処刑されるという
究極の恐怖が連続します。
ロレンツォは愛するリシディスとの
幸せな現実から、
これらの凄惨な夢の世界へと
「堕ちて」いくのです。

ノディエが生きたロマン主義の時代、
夢は「昼間の理性が消え、
魂が危険な領域に踏み込む時空間」と
されていました。
それをさらに深化させたのが
作者・ノディエの夢の観念であり、
それは、
「夢は、人間が未知の怪物や
自分自身の心の闇と対峙する
戦場である」という
ものなのだそうです。
本作品に描かれている「夢の世界」は、
まさに「未知の怪物や
自分自身の心の闇」との
せめぎ合いなのです。
この、幸せの絶頂にいる
ロレンツォが見た、
悪霊と不条理の世界を
追体験することこそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
古代人の世界の「闇」

それにしてもこの夢の世界は異質です。
現実世界よりも強気で傲慢な性格、
しかも武器を携えた
騎士となった「おれ」ですが、
現れる怪物や怪異現象に対して
まったく無力、なすすべもなく
打ちのめされているのです。

悪夢の中では、力が出ない、
逃げても逃げられない、
武器が役に立たない、
理屈が通じない、といった
「夢特有の無力感」が
その世界を支配します。
作者・ノディエはこの悪夢の感覚を、
英雄の無力化という形で文学化したと
考えるのが一つの解釈でしょう。

また、夢の世界の時代設定については、
「紀元前後の、
魔術的で不気味な伝説に彩られた
古代ギリシャ」(あくまでも空想上の)と
考えることができます。
十九世紀のロマン主義の時代に生きた
ノディエにとっての「古代」は、
世界史の教科書に載っているような
白亜の神殿の時代では
なかったのでしょう。
科学が未発達で、
闇の中に何が潜んでいるか
わからない時代であり、
死と隣り合わせの幻想が
息づいている時代という
捉え方がされていたとしても
不思議ではありません。
それがもう一つの解釈となるはずです。

この、十九世紀の人間の捉える
「古代」の世界観を
仮想体験することこそ、
本作品の第三の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

よく考えてみると、
私たちの見る「夢」も、
内容やスケールが異なるとはいえ、
このようなものである場合が
往々にしてあります。
それをノディエはつまびらかに分析し、
文学的に再構築し、
ロマン主義的色彩という
味付けをしたのが本作品なのです。
一流の幻想文学シェフ・ノディエの
渾身の逸品です。
ぜひご賞味ください。

(2026.2.4)

〔「ノディエ幻想短篇集」〕
夜の一時の幻
スマラ(夜の霊)
トリルビー
青靴下のジャン=フランソワ
死人の谷
ベアトリックス尼伝説
 あとがき

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