彼女の詩の行間にある悲しみ
「金子みすゞ童謡集」
(金子みすゞ)ハルキ文庫
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥はわたしのように、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
「私と小鳥と鈴と」が、
確か小学校の国語の教科書に
掲載されていたかと思います。
「みんなちがって、みんないい」
というフレーズは、
「個を大切にする教育」と相まって、
学校関係者には浸透していました。
私にできないことでも
相手にできることがある。
相手にできないことでも
私にできることがある。
この詩には
そんな「共生」の意識が読み取れます。
大正時代の思想としては
極めて先進的といえるでしょう。
この金子みすゞ、
私にとってはある時期まで、
「何となく知っている詩人」でした。
阪田寛夫やまど・みちおと同じように、
子どもにも理解できる
平易な詩を書く詩人、という認識でした。
私の女房が、たまたま
この金子みすゞの詩集を
持っていました。
立派な箱入りの全3冊の
「金子みすゞ全集」です。
私は折にふれて読んでいました。
この詩人は、
なんて温かい詩を書くのだろう。
しかし、ところどころに見え隠れする
「悲しさ」「はかなさ」は何だろう。
そんなことを思いながら
読んでいました。
ある日、その全集に含まれている
薄手の「解説書」を読んで驚きました。
望まぬ結婚、それによる性病の罹患、
強制された断筆、そして離婚…。
最後は愛娘を奪われることになり、
自殺…、享年二十六歳…。
そうだったのか。知らなかった。
彼女の詩に含まれている
陰影の源はこれだったのか。
勉強不足とは怖いことだ。
いつもそう思います。
このことを知ったのが、
ようやく十年ほど前。
以来、彼女の詩の行間にある悲しみが
少しずつわかるようになってきました。
今から30年くらい前までは、
彼女の詩は一部しか
出版されていなかったといいます。
1984年になって、
初めて彼女の詩の全てが
出版されるにいたります。
それが箱入りの全集だったのです。
中学生にぜひ薦めたいと思います。
小学校のときに接したのとは
ちがう感動を得られると思います。
高校生、そして社会人になって、
その時々で読み返したとき、
必ず新しい発見があるはずです。
全集は難しいでしょうから、
そのエッセンスを抽出した
本書を薦めます。
主要な詩に加え、
巻末には全集の解説書の
抜粋が収められています。
(2018.9.4)