「靨」(横溝正史)

ミステリ、探偵小説、いや、愛情物語

「靨」(横溝正史)
(「刺青された男」)角川文庫
(「横溝正史ミステリ
  短篇コレクション③」)柏書房
(「消すな蠟燭」)出版芸術社

数年ぶりに、
ある湯治宿を訪れた
小説家の「私」は、
その一室に掲げられた
婦人の肖像画に引きつけられる。
その婦人は宿の娘であり、
ある殺人事件で心に傷を負い、
床に伏しているのだという。
「私」は宿の女将から
事件の顛末を聞く…。

ある殺人事件とは、
その娘の夫が頭を割られて
谷から突き落とされた事件であり、
犯人は隣町のならず者であることが
判明しているが
その行方が知れないというものです。
横溝正史の戦後に書かれた短篇作品、
どのような展開を見せるのか?

〔主要登場人物〕
「私」

…小説家・諸井謙介と名乗る語り手。
 岡山県の山奥の湯治場を訪れた。
蓑浦浄美
…「私」が訪れた湯治宿の娘。
 病床に伏せっている。
蓑浦志保
…浄美の叔母。湯治宿の女将的役割。
蓑浦康夫
…浄美の婿。十年前に死亡。
青沼
…康夫を殺害したとされた人物。
 妹・小夜が康夫に捨てられ
 服毒自殺したことから
 殺害に至ったとされる。
毛利英三
…十年前に湯治場を訪れた画家。
 浄美の肖像画を描いた。
三蔵…駅から湯治場へ案内した馬士。

〔事件の概略〕
⑴蓑浦康夫の死亡(昭和12年秋)
・画家・毛利英三、
 湯治宿蓑浦・離れの洋館に宿泊。
 滞在一か月の間、
 浄美の肖像画を制作。
10月27日夜
①康夫外出。
②毛利外出。
③康夫、帰宅。金庫から現金三百万を
 持ち出し、再び外出。
10月28日明け方
④地蔵崩れの崖で康夫の死体発見。
 谷底から犯人の遺留品発見。
 犯人は青沼と断定。
⑵康夫死亡の翌年(昭和13年)
・事件現場の地蔵崩れから
 青沼の遺体が表出。
・遺体の懐から康夫が小夜にあてた
 手紙が見つかる。
・青沼殺害は康夫の死亡以前と判明。
・志保、青沼の遺体を埋め戻し、隠蔽。
⑶「私」来訪(昭和22年秋)
・志保、事件の詳細を「私」に語る。
・「私」による事件解明。

本作品の味わいどころ①
おどろおどろしさ、驚愕のミステリ

本作品の構成は、
昭和22年に湯治宿を訪れた「私」が、
そこで起きた昭和12年の殺人事件の謎を
解き明かすというものです。
昭和22年の「現在」では
事件は何も起きておらず、
純粋に過去の事件の謎解きを
「私」が行うという筋書きなのです。
かといって、「私」が何かを
調査するわけではありません。

「私」はすでに町の人間から
その殺人事件について
聞いていたのですが、
宿の志保がさらに
驚愕の事実を打ち明けるのです。
事件の一年後、土砂崩れの跡から、
犯人と目されている青沼の遺体が
密かに発見されていたこと。
青沼は少なくとも康夫死亡以前に
すでに殺害されていたこと。
したがって青沼は犯人ではなく
康夫殺害の真犯人は別に存在すること。
青沼の死体は人知れず葬ってあり、
世間にはそれを秘してあること。
そうした新たな事実が
「私」へと伝えられるのです。

それだけでなく、そもそも
蓑浦家を訪れた語り手「私」には、
終始沈鬱な空気が
まとわりついています。
「私」が肖像画についての印象を語る
冒頭部からして
重苦しい雰囲気が漂っています。
彼はなぜ岡山の山奥の湯治宿、
それもすでに廃業している宿を選び、
無理にでも泊めてもらおうとしたのか?

さらには事件の折に投宿していた
画家・毛利英三は
どのように殺人事件に絡んでいるのか?
彼の描いた浄美の肖像画には
どのような秘密が隠されているのか?
過去の事件の背景には
多くの「謎」が仕掛けられているのです。
それらは「岡山県の山村」という
横溝戦後の得意の舞台において、
なんともいえない怪奇色を
醸し出しているのです。
この、おどろおどろしさをまとった
驚愕のミステリという姿こそ、
本作品の第一の味わいどころなのです。
しっかりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ②
謎を解明する「私」、衝撃の探偵小説

ミステリであるものの、
本作品には名探偵が登場しません。
横溝作品は金田一ものよりも、
由利・三津木シリーズよりも、
名探偵の登場しない作品にこそ
味わい深い作品が多いのです。
本作品も同様です。
志保が「私」に語った「隠された真実」、
それをもとに「私」は記憶をたどり、
自らの知る事実を打ち明け、
真実へとたどりつくのです。
なんと探偵役は語り手「私」。
しかしその「私」もまた
事件の関係者であることが判明します。
この、実は探偵役は「私」であるという
衝撃の探偵小説としての形態こそ、
本作品の第二の
味わいどころとなるのです。
じっくりと味わいましょう。

本作品の味わいどころ③
感動と余韻の結末、極上の愛情物語

ミステリの場合、
事件の謎の解明とともに
関係者の隠していた過去が
明らかにされ、
後味の悪い結末となることも
少なくありません。
本作品もまた志保と「私」の
語り合いの中で真実が解きほぐされ、
「私」の過去も明かされていくのです。
しかも表題「靨」の意味も
結末において明らかになるのです。
結果として本作品は
ハッピー・エンドで終わるだけでなく、
お互いの想いが
十年ぶりに成就するという
大人のラブ・ストーリー仕立てと
なっているのです。
この、ミステリを超えて
愛情物語となる筋書きの本質こそ、
本作品の最大の
味わいどころとなっているのです。
たっぷりと味わいましょう。

それにしても「えくぼ」と書くと
少女のかわいらしい笑顔が
すぐに思い浮かぶのですが、
「靨」と漢字で表記しただけで、
何かおどろおどろしさが
滲み出てきます。
それもまた横溝の巧妙な仕掛けの
一つなのでしょう。

戦時中に制限されていた
探偵小説の執筆がようやく解禁となり、
創作意欲の漲っていた昭和21年の横溝。
そのエネルギーは
「神楽太夫」「刺青された男」
そして本作「靨」を経て、
傑作「本陣殺人事件」へと
結実するのです。

いくつもの巧妙な仕掛けが
施されるとともに、
作者・横溝の情熱の迸る作品「靨」。
味わい深い逸品です。
ぜひご賞味ください。

(2018.9.8)

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