「チョコレート」(山本有三)

「甘い」けれども「潔い」

「チョコレート」(山本有三)
(「百年文庫044 汝」)ポプラ社

就職にあふれていた恭一は、
実業家として成功した父親から
いつも渋い顔で見られていた。
ある日、彼は父親から
「愛国紡績の専務が
おまえに会いたがっている」と
切り出される。
彼は、父親が裏で
手を回してくれていたことを
察して…。

就職が内定し、
いい気持ちで街を歩いていた恭一は、
大学の同期生と出会います。
同期生は、
内定が決まっていた愛国紡績から
不採用を言い渡されたといいます。
なんでも元重役の横やりが入り、
内定が覆されたというのです。
つまり恭一の「裏口就職」の
犠牲になったのです。

本作品が書かれたのは1931年。
現代と同じ
就職難の時代だったのでしょう。
ただし、恭一は
無理して就職しなくてもいいと
思っていました。
機会が訪れるまでは
もう少し勉強していたいと
考えていたのです。
無理もありません。
親が大会社の元重役で、
十分に裕福なのですから。

この恭一青年、
明治の文学作品に登場する
高等遊民のような存在です。
そして何よりも
「お坊ちゃん」なのです。
人間的にはまだまだ
「甘さ」が残ります。

ふと、いつぞやの文科省元局長による
汚職事件を思い出してしまいました。
重役のコネによる「裏口就職」なら
現代もまだありそうですが、
「裏口入学」も未だに健在だったとは
驚きでした。

自分の子どもを何とかしたい。
親であれば当然の気持ちです。
でも大人の役割は、
子どもを自立する一人の人間に
育て上げることであるはずです。
裏口入学にせよ裏口就職にせよ、
子どもの自立の機会を
奪うことになると思うのです。
親のするべきことではないでしょう。
もっとも、
本作品の恭一の父親の口利きと、
公正公平で厳正な選抜が
求められる大学入試において、
それを管理すべき文科省の役員が
不正に関与した今回の一件とでは、
その意味合いはまったく異なりますが。

さて、問題は子どもの方です。
恭一青年は確かに「甘い」のですが、
でもその分純粋なのでしょう。
同期生の話を聞いた後、
彼は内定を辞退する旨の手紙を
専務に送ります。
直接対面して話をするのではなく、
旅先からの手紙で
解決を図る部分は「甘い」のですが、
青年らしい潔さが感じられます。

最後の場面で彼が見上げた空は、
「一点の雲もない水いろの大ぞら」。
後悔はなかったのでしょう。
そして、「明治ミルクチョコレートと、
大きなもじが書いてあった」。
「甘い」けれども「潔い」
彼を象徴しているかのようです。

(2018.9.12)

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