「米百俵」(山本有三)②

まるで戦争のプロパガンダです

「米百俵」(山本有三)新潮文庫

本作品を読み、前回は
現在の日本の姿との乖離について
私見を述べました。
戊辰戦争の長岡藩に限らず、
この国自体が教育の力で
幾度となく復興してきたのです。
大勢を変えることは
難しいかも知れませんが、
これからも「未来を切り拓くのは
学びの力だ」と子どもたちに
訴えていきたいと思います。

さて、戯曲「米百俵」は、
実は本書の前半部分であり、
後半部分は
「隠れたる先覚者 小林虎三郎」と題した、
作者の講演記録が収録されています。
戯曲部分は爽やかな感動に
浸ることが出来るのですが、
講演記録の方は…、
複雑な心境になりました。

この長岡藩に出来た学校は
やがて長岡中学校と変わる。
そこは山本五十六大将の母校である。
日本はこの戦争に勝つ。
今、国民の一部から
米が足りないという声が上がっている。
我々は先覚者小林虎三郎に
見習うべきだ。
筆者の講演はこのように続きます。

まるで戦争のプロパガンダです。
そういえば
かつて痛みを伴う構造改革を
押しつけるために
「米百俵の精神」を持ち出した首相も
いたように記憶しています。
どうもこの国の指導者たちは、
長岡藩の米百俵の史実を、
「国民に我慢を強いるための
説法」として
利用する節があるようです。

作者・山本は、本当にこの戯曲を
戦意高揚の物語として
つくったのでしょうか。
いやいや、そうではありますまい。
「路傍の石」「真実一路」等の著作や
「日本少国民文庫」の編纂にあたった
経歴から判断するに、山本は純粋に
次世代の子どもたちのことを
考えていたと思われます。
それが「戦争推進のために
窮乏に耐えましょう」と講演したのは、
山本自身が
当時の戦争の雰囲気(聖戦)を
全く疑っていなかったか、
時局の中で文筆家が生きのこるためには
多少の戦争賛美も
やむを得ずと判断したかの
どちらかでしょう。

幕末の先覚者・小林虎三郎が、
教育によって
輩出しようとした「人材」とは、
決して山本五十六のように
戦争を遂行する指導者では
なかったはずです。

講演録部分には、
幕末の事情をさらに深く
理解するための貴重な資料も
含まれています。
それを考えると、
「雑音」もまた多く記されているのは
しかたのないことでしょう。
そうした「雑音」に惑わされず、
戯曲からも講演録からも、
「目先のことばかりにとらわれず、
明日をよくしよう」という
本来の精神を吸収したいものです。

(2018.9.13)

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