「楡の家」(堀辰雄)

菜穂子が愛のない結婚に踏み切った理由

「楡の家」(堀辰雄)
(「菜穂子・楡の家」)新潮文庫

「私」は娘である菜穂子に
いつか読んでもらうために
日記を手帳に綴る。
「私」は娘に過失を持った
一個の人間として
見てくれることを願う。
そして小説家・森於菟彦との
出会いのいきさつを語る。
後日、その手帳を読んだ
菜穂子は…。

先日、堀辰雄の「菜穂子」
取り上げました。
菜穂子がなぜマザコン男などと
つまらない結婚したのか?
「菜穂子」だけ読むと、
今一つ理解できないのですが、
プロローグとしての本作を読むと、
その背景がわかってきます。

「菜穂子、私はこの日記をお前に
 いつか読んで貰うために
 書いておこうと思う。
 私が死んでから何年か立って、
 どうしたのかこの頃ちっとも
 私と口を利こうとはしない
 お前にも、もっと打ちとけて
 話しておけばよかったろうと
 思う時が来るだろう。
 そんな折のために、
 この日記を書いておいて
 やりたいのだ。」

「菜穂子」本編は
1931年であるのに対し、
母親の日記の日付は
第一部が1926年9月(菜穂子23歳)、
第二部が1928年9月(25歳)です。
ここには母と娘の重苦しい関係と
そのいきさつが描かれています。

「私」(=菜穂子の母)は、
小説家森於菟彦との恋の情熱を、
つつましく踏みとどまりました。
貞淑、というよりも、
ロマンをロマンのまま
永遠に保ちたいという
独特の美意識からなのです。
この小説家森のモデルが
あの芥川龍之介なのです。
作者堀は、芥川を模した森について
「brilliant という字の
化身のようなお方」と表現しています。
「私」は、光り輝く森と
生身の恋に陥るのではなく、
あくまでも崇高なものとして
記憶に留めておくことを選んだのです。

娘(=菜穂子)はそれに反発します。
それは単純な反抗ではなく、
彼女が自分自身の内側に、
母親と同じ素質が
受け継がれていることを
認めざるを得ず、それを嫌悪する
気持ちの表れなのです。
似たもの同士であるが故に、
彼女は母親の姿に
自分の欠点を垣間見て、
そうあるまいとしているのでしょう。
「私」の日記に続く「菜穂子の手記」は
次の一文で結ばれています。
「日記読了後の
 一種説明しがたい母への同化、
 それ故にこそ又同時にそれに対する
 殆ど嫌悪にさえ近いものが、
 突然私の手にしていた日記を
 その儘その楡の木の下に
 埋めることを私に思い立たせた。」

菜穂子が愛のない結婚に
踏み切ったのは、
母親の中に見いだした自分を拒絶し、
安易な心の平安を求めての
逃避行動だったのです。
「菜穂子」本編での菜穂子の苦しみは、
すでにプロローグ「楡の家」で
母親が予見していたことなのでした。
「楡の家」「菜穂子」は、
母娘の限りない愛情と葛藤と
喪失の物語といえます。
堀文学の辿り着いた頂点、
これからもじっくり味わいたいと
思います。

(2018.9.27)

【青空文庫】
「楡の家」(堀辰雄)
「菜穂子」(堀辰雄)

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