「オーケストラの少年」(阪田寛夫)

おじいさんの罪のない嘘と「ぼく」の優しい素直な心

「オーケストラの少年」(阪田寛夫)
(「それはまだヒミツ」)新潮文庫

見知らぬおばはんから
どやされながらも
地下鉄の車両の窓を開け、
外の音に聴き入っている
おじいさん。
「ぼく」が話しかけると、
おじいさんは自ら作曲した
交響詩を聴いていたのだという。
おじいさんは「ぼく」に
さらに語り始める…。

「おなかのへるうた」「サッちゃん」で
おなじみの詩人・阪田寛夫は、
実は優れた小説家でもありました
(何と芥川賞受賞)。
童話もいくつか書き上げています。
本作品はその一つです。

おじいさんが
「ぼく」に語ったこととは…。
かつてのアメリカ映画
「オーケストラの少女」に憧れて、
大阪で寄せ集めの楽団を結成し、
指揮をした。
そのうち他人の曲を指揮するのに
飽きてきて、自分で作曲をはじめた。
中学校1年生の時に作った曲が
「地下鉄シンフォニー」。
それが今も大阪の
地下鉄のトンネルの中に流れている…。

もちろん壮大な出鱈目でしょう。
「オーケストラの少女」は、
少女の父親がトロンボーン奏者であり、
父親とともに失業したメンバーを
かき集めることができました。
そして少女に声楽の才能と
大人顔負けの行動力があったからこそ
有名指揮者を動かして
コンサート実現にこぎ着けたのです。
昭和初期の日本の大阪で、
それも中学校1年生に、
そのようなことが
可能であるはずがありません。

小学校6年生の「ぼく」は
それを真に受けていたのか?
いやいや、嘘と見抜いているのです。
「こっちがだまって聞いていたら、
 でたらめの言いほうだいで、
 さっき、うっかりこの人は
 本物の作曲家にちがいないと
 感心したことが、
 ぼくは恥かしくてならなかった。」

しかし、嘘とわかっていながら
しっかりと聞いてあげている(それも
自分が降りる駅を乗り越してまで)姿が
微笑ましい限りです。

そしてその嘘に乗っかり、
地下鉄の窓を開け、
「地下鉄シンフォニー」なるものを
一緒に聴くのです。
「その時、
 すごいオーケストラの曲が、
 ぼくの耳に、おそってきた。
 それはゴジラの叫びのようであり、
 千人の魚屋さんの
 「買いなあれ」の声のようでもあり、
 急にのんびり
 お経のリズムに変わって、
 長ながとつづくかと思えば、
 とつぜんずたずたにたち切られ、
 知ってる歌にまぜ合わされ、
 渦を巻き、逆転宙がえりをうち、
 うねったり、くねったり、

 こなごなに割れて
 追っかけあったり、
 大きな、すばらしい、
 ものすごいものだった。」

おじいさんの罪のない嘘と
「ぼく」の優しい素直な心が、
読み手の心に
しみじみとした温かさをもたらします。
阪田寛夫の童話、いかがでしょうか。

※それにしても大ぼらを吹くには
 関西弁が妙にしっくりきます。
 関西弁でなければならない
 作品なのだと思います。

※「オーケストラの少女」(1937米)も
 素晴らしい映画です。
 若かりし日の名指揮者・
 ストコフスキー(本物!)が
 出演しています。

(2018.9.30)

ころんさんさんによる写真ACからの写真

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